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ヒバゴン騒動の5年間
町役場に「類人猿係」ができた日々

1970年の夏、広島県の山あいの町で、ゴリラのような生き物を見たという話が続いた。地元の新聞が記事にすると、町には報道陣と大学の探検部が押し寄せ、役場には「類人猿」の係ができた。5年後、町は騒ぎの終わりを宣言する。あの生き物は何だったのか。今も町の顔になっているのはなぜか。地元紙と自治体の資料を中心に読み直す。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月4日約13分で読めます出典 18件
吾妻山から見た比婆山と立烏帽子山の稜線
CC BY-SA 4.0吾妻山から見た比婆山(ひばやま)と立烏帽子山。ヒバゴンの名はこの山から付いた。撮影:Koda6029。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

この記事の要点

  • 最初の目撃は1970年7月20日の夜。広島県比婆郡西城町(今の庄原市西城町)油木地区で、道を横切る大きな生き物を見たという
  • 8月26日の中国新聞の記事で全国に広がり、町役場は問い合わせに応える「類人猿相談係」を置いた。名付け親は記事を書いた支局長
  • 目撃の数は資料によって「19件」と「29件」がある。最後の目撃は1974年。終息宣言は1975年に出たが、月は3月と6月で資料が分かれる
  • ニホンザルやクマの見間違いとする説が有力だが、決め手はない。今のヒバゴンは庄原市のPRキャラクターで、2024年からは新しい目撃談も出ている

011970年7月20日、比婆山のふもとで

広島県の北部、島根県との県境に近い山あいに、比婆山(ひばやま、1264メートル)という山がある。国を生んだ女神イザナミノミコトが眠る山という言い伝えがあり、古くから信仰を集めてきた[1]。

1970年7月20日の午後8時ごろ。このふもとの比婆郡西城町油木(ゆき)地区で、車を運転していた当時31歳の男性が、道に出てきた奇妙な生き物を見た。生き物は男性に気付くと、ゆっくり山へ戻っていったという[1]。のちに「ヒバゴン」と呼ばれる騒ぎは、ここから始まる。

現場の近くには中国電力の六ノ原ダムがある[10]。目撃した男性は「猿にしては大きすぎる」と思い、引き返して探したが姿はなかった。近所の人と現場を見に行くと、山の斜面の草木が強い力で踏み倒されていたという[6]。

2018年、旧西城町の職員だった恵木剋行(えき・かつゆき)さんが、この場所を新聞記者に案内している。恵木さんはのちに町役場の「類人猿相談係」になった人で、目撃者本人から直接話を聞いていた[1]。

「ここが、かつて日本中の注目を集めたヒバゴン騒動の始まりの場所。山から二足歩行で道に出てきた異様な生き物が、車を運転していた目撃者に気付き、ゆっくり山に戻っていったそうです」

3日後の7月23日の朝5時半ごろには、約600メートル離れた場所で、草刈りをしていた43歳の男性が、草むらから上半身を出して立っている動物を見た。顔立ちは人間に似ていたという。7月30日の夜8時ごろには、さらに2キロ先の田んぼで、47歳の男性があぜ道を歩いてくる親類に声をかけたつもりが、それは「ゴリラそっくりの怪物」だった[1]。

23日の男性の話は、のちに恵木さんが現場で詳しく語っている。自宅から100メートルほど先の斜面で草刈りをしていると「ドスン」と音がした。振り向くと、異様な顔の生き物がこちらを見ていた。男性は鎌を振り上げ「シィー、シィー」と追い払おうとしたが、よく見ると人間ほどの大きさがあった。恵木さんによれば、この男性は2度ヒバゴンを見ており、1度目は両手を下ろし、2度目は両手を上げて斜面を下りてきたという[6]。

3人はいずれも地元の農家だった[1]。いたずら好きの若者でも、よそから来た観光客でもない。この点は、のちに騒ぎを考えるうえで大事になる。

1976年に撮影された西城町中心部の空中写真。川沿いに家並みがあり、周りを山林が囲む
CC BY 4.0互換騒動の直後、1976年11月に撮影された西城町中心部の空中写真。川沿いの細長い町を山が囲んでいる。撮影:国土地理院(国土情報ウェブマッピングシステム)。国土地理院コンテンツ利用規約により出典を示して使用。 / Wikimedia Commons

02新聞が名付けた「ヒバゴン」

騒ぎが全国に知られたきっかけは、1970年8月26日の中国新聞の記事だった。見出しは「比婆山山ろくで〝類人猿〟騒ぎ」。7月20日、23日、30日に油木地区で目撃した3人の話をまとめたものだ[1]。

書いたのは、当時の中国新聞庄原支局長、宮尾英夫さん。最初に電話を受けたときは冷やかしだと思って相手にしなかった。ところが別の人からも目撃談が届く。宮尾さんは目撃者に会いに行った[1]。

目撃者に会ってみると、皆おびえた表情で「ここにはもう住めん」と口にする人や、「ほら吹きだと言われ、信じてもらえんのじゃ」と訴え掛ける人もいたという。

「ヒバゴン」という名前も宮尾さんが付けた。比婆山のふもとで目撃が始まったので「ヒバ(比婆)ゴン」だ[2]。この名前は、やがて全国に知れ渡ることになる[2]。

記事のあと、全国から大学の探検部や報道機関が押し寄せた。神戸大学の探検部は9月から10月にかけて計11日間、「一番乗り」で現地に入った。目撃者4人を訪ね、野営をしながら痕跡を探したが、物証は見つからなかった[2]。探検部は9月に予備調査で聞き込みをし、10月に本調査をした。地元の人は初めから協力的で、新聞記者や学校の先生、駐在所の警察官からも情報が寄せられたという[5]。当時1年生だった部員は、50年後にこう振り返っている。

「日本の原風景のような地域に住む純朴そうな人たちが、集団でうそをついているようには見えなかった。何かがいたと確信した」

一方で、騒ぎは町の人たちの暮らしにのしかかった。目撃者には取材が殺到し、夜の山をライトで照らして探し回る人も出た。目撃者の親類は「逆に人間の方が怖かった」と語っている[5]。町はとうとう、目撃者にお金を払うことになる。

取材攻勢を受けて疲弊する目撃者に旧西城町は5千円の「迷惑料」を支払ったほどだった。

神戸大の探検部は、新聞6社、テレビ8社、週刊誌1社から取材を受けたという。当時の部員は「私たちも騒動の一翼を担ったのかもしれない」と話している[2]。探す人が増えるほど話題が大きくなり、話題が大きくなるほど探す人が増える。ヒバゴン騒動は、そういう回り方をしていた。

03町役場の「類人猿相談係」

問い合わせの電話は町役場にも殺到した。そこで役場は、ヒバゴンについての相談と取材に応える係を置いた。正式な名前は「類人猿相談係」。新聞やテレビでは「類人猿係」「ヒバゴン課」とも呼ばれた[1][10]。

冒頭の恵木さんは、1970年の秋にこの係に配属された[1]。係の仕事は、電話を受けるだけではなかった。足跡が見つかったと連絡があれば、警察と一緒に現場に行き、石こうで型を取った。

恵木さんによると、最初の足跡は1970年10月5日、比婆山で造成が進んでいた「県民の森」で見つかった。ただ、連絡が来たのは2日後で、その間に作業員が触ってしまい、型を取ったときには形が崩れていた。約2か月後の12月16日には、隣の比和町にある吾妻山(あづまやま)の池の原で、雪の上の足跡が見つかった。こちらは鮮明な型が取れた[5]。

新緑の草原の向こうに見える吾妻山
CC BY-SA 4.0吾妻山(庄原市比和町)。1970年12月16日、この山の池の原で雪の上の足跡が見つかり、石こうで型が取られた。撮影:Koda6029。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

この石こうの足形は、縦21センチ、幅13センチ。長く庄原警察署の署長室に飾られていた。警察に残るヒバゴンの資料は、この足形だけだという。署長は2020年の取材に「人や家畜への危害が報告されていなかったからだろう」と話している[2]。足形は2023年5月、町の観光に役立ててほしいと、西城町観光協会に贈られた[5]。

足形の大きさについては、見方が分かれる。UMA研究家の中沢健さんは、北米のビッグフットの足跡と比べて小さいことが、かえって本物らしさにつながると話す[5]。一方で、縦21センチという長さは、大人の人間の足より小さい。この足形だけで、身長160センチの類人猿を思い描くのは難しい。どの動物の足跡かを専門家が鑑定したという記録は、今回の資料には見当たらなかった。

騒ぎは町の名前も全国に広めた。恵木さんは、ヒバゴンの知名度を肌で感じた出来事を覚えている[2]。

「霞が関へ陳情に行った町長が『ヒバゴンの話をしたら担当者との面会の順番が繰り上がったんよ』と喜んでいた」

町の外からは、冷ややかな目もあった。「観光宣伝を狙った作り話だ」という批判も出ていた[2]。迷惑料を払い、係を置き、陳情の場でも話題にする。町にとってヒバゴンは、困りごとであり、同時に名刺代わりでもあった。

庄原市役所西城支所の建物の正面
CC BY-SA 3.0西城町の中心部にある庄原市役所西城支所(2009年撮影)。西城町は2005年に庄原市と合併した。撮影:OS6。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons
係ができた時期について 中国新聞は、恵木さんが「70年秋」に係に配属されたと書き[1]、2025年の記事でも係は「1970年に旧西城町役場が設置した」としている[14]。一方、Wikipedia は「1971年(昭和46年)4月」に新設されたと書く[10]。1970年秋に事実上の担当を置き、翌年度に正式な係にした可能性もあるが、町の記録を確かめられなかった。この記事では地元紙に合わせて「1970年秋」としている。

0419件か、29件か:目撃の数と流れ

ヒバゴンは何回目撃されたのか。実はこの基本的な数字が、資料によって違う。

中国新聞の2018年の記事は、恵木さんへの取材をもとに「4年間に寄せられた19件の目撃証言」と書いている。そこから浮かぶ姿は、身長約160センチ、逆三角形の顔、人の2倍近い頭、黒褐色の荒い毛だった[1]。

一方、庄原市の観光を担う庄原観光推進機構のサイトは「29件」と書く[3]。地元で話を聞いたライターも、1970年から1974年の間に29件と聞いている[12]。

10件の差がどこから来るのかを説明した資料は、見つからなかった。足跡の発見を含めるか、本人から話を聞けたものだけを数えるか、町に届いた分か新聞に載った分か。数え方の違いで、このくらいの差は簡単に出る。ここでは「20件から30件ほど」と幅で考えるのがよさそうだ。

目撃の流れは、分かる範囲で並べるとこうなる。

  • 1970年7月:油木地区で3件。20日(車の男性)、23日(草刈り中の男性)、30日(田んぼの男性)[1]
  • 1970年10月・12月:県民の森と吾妻山で足跡が見つかる[5]
  • 1971〜1973年:目撃の話は続くが、年ごとの件数を示す一次資料は見つからなかった
  • 1974年6〜8月:庄原市の川北町や濁川町、比和町などで目撃が続く。8月には写真が撮られたとされる[10]
  • 1974年10月11日:濁川町の県道での目撃が、公の記録として最後になった[10][8]

目撃の場所は、はじめの比婆山のふもとから、当時の庄原市の側へ広がっている[10]。1970年代の初めと、1974年の目撃が同じ生き物だったのかどうかは分からない。初めの頃の証言が「ゴリラのよう」なのに対し、1974年には「年をとった大ザル」と思ったという目撃者もいた[10]。

目撃の数と期間について 目撃件数は「19件」[1]と「29件」[3]がある。目撃のあった期間も、中国新聞の2018年の記事は「74年8月」まで[1]、2020年の記事は「74年10月」まで[2]としていて、同じ新聞の中でも揺れている。Wikipedia の「1970年12月だけで12件」という記述は出典が示されておらず、確かめられなかった。町の目撃記録の原本や、観光協会の記念誌「HIBAGON BOOK」[3]は今回見ていない。

051974年の写真には何が写っていたか

ヒバゴンには、写真が1枚だけある。1974年8月15日、庄原市濁川町で撮られたとされるものだ[10][9]。

Wikipedia が引く1993年の本によると、撮影した男性は県道の真ん中あたりで、四つ足になったり二本足で立ったりして歩く生き物を見た。車で近づくと、生き物は山の柿の木に飛びつき、その瞬間を撮った。大きさは約1.5メートル、全身ネズミ色の毛で、首の周りは白かったという[10]。

ただ、写真はぼやけていた。同じ本によれば、専門家は「サルかクマではないか」とコメントし、それまでのヒバゴンの目撃者も「(写っているのは)ヒバゴンではない。サルだ」と否定的だった[10]。

肯定側の見方もある。2025年夏、庄原市で開かれた「ヒバゴン展」で、この写真の鮮明なプリントが見つかり展示された。取材したwebムーの記者は、元の写真に近いので輪郭がはっきりしていると書き、こう続けている[7]。

「片手を上げたヒバゴン」とされたこともあったが、写真をよく見ることで両手を下げ、横向きに写っていることが確認された。

記者は、その姿は熊などほかの動物とは明らかに違うとも書いている[7]。ただ、これは記者の感想で、写真を鑑定した結果ではない。写真に写った生き物の大きさを、周りの木や道と比べて測った分析は見つからなかった。

この記事では、写真そのものは載せていない。撮影した人の名前や、最初に載った新聞・雑誌を確かめられず、写真の権利者が分からないためだ。

撮影日について 多くの資料は撮影日を「1974年8月15日」とする[10][8][9]。ところが「ヒバゴン展」を伝えるwebムーの記事は「1974年10月11日に撮影された」と書いている[7]。10月11日は最後の目撃の日付[10]で、取り違えの可能性がある。この記事では、同じ筆者のほかの記事とも一致する8月15日をとった。

06正体の説を一つずつ確かめる

正体が分からないまま、当時からいくつもの説が出ていた。中国新聞自身も、謎を解こうとする記事をいくつも載せている[1]。

ゴリラやオランウータンが逃げ出した

足跡の形が類人猿に似ているという声から、持ち込まれた類人猿ではないかという説が出た。当時の中国新聞はこの説を研究者に聞いている[1]。

足跡の形からオランウータンの可能性に触れる研究者のインタビューでは、かつて密輸された約30頭のオランウータンが行方不明になったとの逸話を紹介しつつ、行動範囲の広さや冬場の寒さからその可能性の低さを指摘。

熱帯の森に住むオランウータンが、雪の積もる中国山地で何年も冬を越すのは難しい。行方不明の個体がいたという話も、逸話として紹介されているだけだ。

年をとったニホンザル

いちばんよく挙がるのが、ニホンザルの見間違いだ。動物学者の今泉忠明さんは、ヒバゴンは大きさを除けばニホンザルそのもので、年をとって群れから外れたサルが人里に出てきたのではないか、と考えた[10]。1974年の目撃者にも「年をとった大ザル」と思った人がいた[10]。

木の上に座るニホンザル
CC BY-SA 3.0ニホンザル。オスの大きなものでも、座ると人の子どもくらいの大きさだ。撮影:KENPEI。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

西城町に今もサルが多いのは確かだ。2025年、ヒバゴンの撮影に挑んだ毎日新聞の写真記者は、その前にこの町でサルの食害を取材していた[11]。

ネギやトウモロコシなどを育てている地元農家がここ数年畑をサルの群れに荒らされて困っていて、群れは年々大きくなっているという。

この説の弱いところは、大きさだ。目撃談のヒバゴンは身長約160センチ[1]。ニホンザルが後ろ足で立っても、そこまでの背丈にはならない。暗い時間や驚いたときに大きさを見誤ることはよくあるが、それで全部を説明できるかは分からない。

ツキノワグマ

中国新聞は「クマやサルと見間違えたとの説もある」と書く[2]。クマなら立ち上がると人ほどの高さになり、黒い毛にも合う。一方で、地元の人によれば、クマが出るのはもっと山の奥で、目撃のあった場所にはクマの餌がないという[10]。

草むらで植物を食べるツキノワグマ
CC BY-SA 3.0ツキノワグマ(岐阜県の乗鞍岳で撮影)。黒い毛と、立ち上がったときの高さから、見間違いの候補に挙がる。撮影:Alpsdake。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

山の神、そして「未知の生物」

当時、比婆山のふもとでは「県民の森」の造成工事が進んでいた。工事に怒った神様の化身だと信じる人もいた[2]。恵木さんも「怒る神の化身ともささやかれたが、人に危害を加えたという話は最後までなかった」と振り返る[1]。

比婆山の熊野神社には、天変地異があるたびに比婆山に現れたと伝わる神の姿を描いた絵巻物が残る[10]。恵木さんはそこに描かれた「黒い人のような形のもの」を見て、ヒバゴンではないかと感じたという[6]。ヒバゴンは、イザナミの眠る山の守り神だという見方もある[6]。神話の山という土地柄が、騒ぎに独特の色を付けていた。

本当に知られていない動物がいた、と考える人もいる。webムーの記者は、目撃が限られた時期と場所に集中していることを挙げ、こう書いた[5]。

また、目撃者の多くは現地に暮らす大人であり、野生動物は普段から見なれている人々だ。よく言われるニホンザルの見間違いなどではなく、やはり未知の生物がいたのではないか。

目撃者が野生動物を見慣れた地元の大人だったことは、確かに大事な点だ。ただ、同じ記事が書くように、当時は植林したばかりで木が低く、見晴らしがよかった[5]。工事で森が騒がしくなり、動物がふだん出ない場所に出てきた、という説明もできる。目撃が限られた時期に集中したことは、報道が人々の目を山に向けさせたこととも重なる。

説根拠評価
ゴリラやオランウータンの逃亡当時の研究者が、行動範囲の広さと冬の寒さから可能性は低いと指摘した[1]否定的
年をとったニホンザル体の特徴は合い、写真にも「サルだ」との声があった[10]。ただ身長160cmという証言とは合わない有力
ツキノワグマ黒い毛と立ったときの高さは合う。地元では目撃地にクマの餌はないとされる[10]確かめられず
観光目当ての作り話当時から批判はあったが[2]、目撃者は地元の農家で、町は迷惑料まで払っている否定的
未知の類人猿石こうの足形は残るが、骨や毛などの物証はない[2]確かめられず

決め手は、どの説にもない。それでも、見間違いとすれば説明のつくことが多いのに対し、未知の類人猿がいたことを示す物は、足形1つしか残っていない。

07終息宣言、そしてキャラクターへ

騒ぎは、始まったときと同じように静かに終わった[2]。

狂騒はしかし、次第に沈静化する。目撃情報は74年10月を最後に途切れ、世間の関心は薄れていった。旧西城町は75年6月に「ヒバゴン終息宣言」を出す。

庄原観光推進機構のサイトは、終わりをこう書いている[3]。

出没から5年を過ぎる頃、目撃情報は途絶え、ヒバゴンが紙上を賑わすこともなくなりました。そして29件の目撃情報を残し正体が解明されないまま、役場の類人猿係は廃止。

人に直接の被害がなかったこともあり、町では「ヒバゴンが何者でもいい。どこかで元気でいてほしい」という声もあったという[3]。

終息宣言の月について 中国新聞は終息宣言を「75年6月」、係の廃止も「75年6月」と書く[2][1]。Wikipedia とwebムーは「1975年3月」とする[10][9]。宣言の文書そのものはネット上で見つからず、どちらが正しいかは確かめられなかった。

その後のヒバゴンは、怖い怪物から町の顔へと変わっていく。騒動のさなかから着ぐるみが作られ、「怪獣踊り」が披露されていた。1984年には、山菜と山の芋をのせた「ヒバゴン丼」が峠の茶屋で生まれた。1999年の「西城ふるさと祭」のポスターに描かれた、きょとんとした顔のヒバゴンが人気になり、今のキャラクターになった[3]。

2004年には、騒動をもとにした重松清の小説『いとしのヒナゴン』が映画になり、西城町でロケが行われた。1か月のロケに、約2,000人のエキストラが参加している[3]。2014年には庄原市もヒバゴンの着ぐるみを作った[3]。今のヒバゴンは庄原市のPRキャラクターで、着ぐるみは市内の団体に貸し出されている[4]。

朝霧の中に建つJR備後西城駅の駅舎
CC BY 3.0西城町の玄関口、JR芸備線の備後西城駅(2000年撮影)。撮影:Nihonjoe。CC BY 3.0。 / Wikimedia Commons

町の事情は楽ではない。2020年には、騒動のさなかに開いた観光施設が閉鎖された。過疎化が進む町の今を、テレビのドキュメンタリーが伝えている[18]。

令和の目撃と「類人猿相談係」の復活

騒ぎから50年たって、話は意外な方向に動いた。2024年の夏、町に住む71歳の農業の男性が大きな獣を見たと話し、その後も住民から「大型の獣を見た」という話が観光協会に寄せられた。観光協会は2025年、出没したとされる場所に小型のカメラを置いた[13]。

そして観光協会は、あの係を復活させた[14]。

謎の類人猿「ヒバゴン」が全国的に注目された1970年に旧西城町役場が設置した係と同名で、約半世紀ぶりの復活。

観光協会の事務所の前には「類人猿相談係」の看板が立った。係には、半世紀前に同じ係にいた元職員を起用し、目撃情報を集めている[16]。恵木さんは、ヒバゴンがまた出てきてくれたことが嬉しいと語っている[9]。半世紀前は困りごとへの窓口だった係が、今は町のにぎわいの窓口になっている。

新しい目撃談に共通するのは、黒い毛、人と見間違える大きさ、人に会うと逃げること。一方で、手足が長く細いという、昔のヒバゴンにはない特徴も語られている[9]。今のところ、カメラにはっきり写ったという報道は見つからなかった。

2025年の夏には、最初の目撃から55年と庄原市の誕生20周年を記念して、雑誌「ムー」と組んだ「ヒバゴン展」が開かれた[15]。2026年には、観光協会とムーがヒバゴンの映画を作る計画を進めている[17]。

ヒバゴン騒動を資料で追うと、残るのは怪物の姿よりも、町の人たちの姿だ。「ここにはもう住めん」とおびえた農家。電話に応え、雪の上の足跡から型を取った役場の職員。目撃者に迷惑料を払った町。そして50年後、その名前で町を盛り上げようとする人たち。正体は分からないままでも、ヒバゴンが西城町に残したものは、はっきりと見えている。

出典・参考資料

  1. 伊東雅之「ヒバゴン騒動 謎の類人猿 日本中が注目」中国新聞, 2018年2月23日掲載(中国新聞デジタル). https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/61900(閲覧 2026-10-04)↩
  2. 伊藤友一「ヒバゴン50年<上> 騒動の記憶 里山に探検隊や報道陣どっと来た」中国新聞デジタル, 2020年. https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/50911(閲覧 2026-10-04)↩
  3. 庄原観光推進機構「ヒバゴン~実在した、謎の類人猿~」庄原観光ナビ(広島県庄原市観光情報サイト). https://www.shobara-info.com/2407(閲覧 2026-10-04)↩
  4. 庄原市「庄原市PRキャラクター着ぐるみ『ヒバゴン』について」庄原市ホームページ. https://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/government/kohokocho/koho/prlogo/hibagonkgrm.html(閲覧 2026-10-04)↩
  5. おかゆう「『ヒバゴンの足跡』53年ぶりに故郷に帰還! かつての関係者や現場の徹底取材で見えてきた獣人の正体とは?」webムー, 2023年7月24日. https://web-mu.jp/history/22864/(閲覧 2026-10-04)↩
  6. おかゆう「獣人『ヒバゴン』出現地と神話の山で痕跡を再検証! 西城観光協会の探検ツアーレポート」webムー, 2024年6月18日. https://web-mu.jp/history/41858/(閲覧 2026-10-04)↩
  7. おかゆう「ヒバゴン出現55周年! 貴重な鮮明写真や目撃情報を一覧できる『ヒバゴン展』開催」webムー, 2025年8月20日. https://web-mu.jp/column/60185/(閲覧 2026-10-04)↩
  8. おかゆう「広島の獣人UMAヒバゴンが50年ぶりに出現! 黒い大猿のような怪物を現地調査で追う」webムー, 2025年4月15日. https://web-mu.jp/paranormal/55072/(閲覧 2026-10-04)↩
  9. おかゆう「日本を代表する獣人UMAが再び動き出した! 急増する『令和のヒバゴン遭遇事件』」webムー, 2025年8月11日. https://web-mu.jp/paranormal/56996/(閲覧 2026-10-04)↩
  10. 日本語版Wikipedia「ヒバゴン」(2026年9月6日版). 目撃史の細部は宇留島進『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫, 1993年、正体の推察は今泉忠明『謎の動物の百科』データハウス, 1994年 を出典としている. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%90%E3%82%B4%E3%83%B3(閲覧 2026-10-04)↩
  11. 滝川大貴「謎の類人猿ヒバゴンはニホンザル? 伝説の地で挑む撮影記」毎日新聞, 2025年4月14日. https://mainichi.jp/articles/20250413/k00/00m/040/078000c(閲覧 2026-10-04)↩
  12. 旅人間「あの幻の怪獣『ヒバゴン』の”たまご”発見ってホント!?」Yahoo!ニュース エキスパート, 2024年2月14日. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/bd13ea07a46a9c535ba2d3af972c3dc351fc9f97(閲覧 2026-10-04)↩
  13. 中国新聞「庄原で『大型の獣』目撃情報相次ぐ、正体の特定へカメラ設置」中国新聞デジタル, 2025年4月5日. https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/624127(閲覧 2026-10-04)↩
  14. 中国新聞「『類人猿相談係』復活へ、庄原・西城町観光協会 目撃情報聞き取りや調査 『大型の獣』のうわさ受け」中国新聞デジタル, 2025年6月4日. https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/652682(閲覧 2026-10-04)↩
  15. 庄原観光推進機構「ヒバゴン展」庄原観光ナビ. https://www.shobara-info.com/event/5186(閲覧 2026-10-04)↩
  16. 山陰中央新報「ヒバゴン騒動に一石!? 広島・西城に『類人猿相談係』が復活 元職員を起用し情報募る」山陰中央新報デジタル. https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/803787(閲覧 2026-10-04)↩
  17. 中国新聞「庄原市で目撃の謎の類人猿『ヒバゴン』の映画化 オカルト雑誌『ムー』が地元観光協会に協力 来春完成目指す」中国新聞デジタル, 2026年5月8日. https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/823478(閲覧 2026-10-04)↩
  18. マイナビニュース「謎の怪物・ヒバゴン目撃から50年…過疎化が進み観光施設も閉鎖」2020年11月22日(NNNドキュメント’20『ヒバゴン 目撃50年…謎の怪物は今』の紹介記事). https://news.mynavi.jp/article/20201122-1515155/(閲覧 2026-10-04)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。