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ネット怪談検証都市伝説

犬鳴村伝説
「地図にない村」は、どこから来たのか

福岡県の犬鳴峠。古いトンネルの先に、地図に載っていない村がある。入口には「この先、日本国憲法は通用せず」という看板が立ち、近づいた者は襲われる。ネットでそう語られてきた「犬鳴村」は、2020年には映画にもなった。けれど、この地には本当に「犬鳴」という集落があった。江戸時代に始まり、ダムの建設で住民が移り、いまは湖の底に沈んでいる。実在した村と、噂の村。二つはどこで重なり、どこで食い違ったのか。役所の資料、研究者の論文、1999年の掲示板の記録を手がかりにたどる。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月6日約12分で読めます出典 14件
山あいにある犬鳴ダムのコンクリートの堤と、背後の緑の山
CC BY-SA 3.0犬鳴ダム(福岡県宮若市)。かつての犬鳴の集落の大部分は、このダムの湖の底にある。2007年撮影。撮影:KEIY.jp。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

この記事の要点

  • 「犬鳴」という集落は実在した。17世紀末に福岡藩の命で人が移り住んで始まり、1986年にダム建設のため住民がふもとへ集団で移った。いまは大部分が湖の底にある
  • 噂の「犬鳴村」は、その集落とは別の、実在しない村だ。確認できた最も古い記録は、1999年10月に2ちゃんねるで紹介された、テレビ番組のサイトへの調査依頼文だった
  • 「日本国憲法は通用せず」の看板は、研究者が記録した伝聞では、夜に騒ぐ若者を追い払うため地元の住民が立てたものだという。ただし噂の看板と同じものかは確かめられていない
  • 噂は、実在の地名に偏見を結びつけて広がった。2020年の映画のあと旧トンネルへの侵入が相次ぎ、市は「映画は事実ではない」と告知し、立ち入りを禁じている

01「この先、日本国憲法は通用せず」

まず、噂がどんな形で語られてきたのかを確かめておく。日本語版Wikipediaは、研究者の論文をもとに、この都市伝説の芯をこうまとめている[1]。

「犬鳴山のなかに『犬鳴村』という外部との接触を一切絶った村があり、興味本位で村を訪ねた者は村人たちに襲われる」という都市伝説

細かいところは語り手によって違う。村の入口に「日本国憲法が通じない」という看板がある。地図に載っていない。鎌や斧を持った男に追いかけられる。携帯電話が通じない。こうした話がいくつも重なって、「犬鳴村」の像ができあがってきた[1]。

この噂には、村人の血筋や病気をめぐる、差別そのものといってよい話も混じっている。この記事ではそれを書き写さない。なぜそうした話が生まれたのかは、あとの章で研究者の見方とともに扱う。

先に結論を書いておくと、噂の「村」は存在しない。Wikipediaの記事は、はっきりこう書く[1]。

これらの噂は地名以外の全てが架空の設定であり、事実無根である

ただし、この一文には大事な但し書きがある。「地名以外」だ。犬鳴という地名は本物で、そこには本当に人が暮らす集落があった。噂を記録として読むには、まずこの実在の集落の歴史を知っておく必要がある。

02実在した犬鳴谷村

犬鳴は、福岡市と直方市のあいだ、犬鳴川の上流の谷にあった集落だ。現在の住所は宮若市犬鳴。福岡県教育委員会は、ダムの建設で沈む前に、この地区の歴史と暮らしを調べて報告書にまとめている。その年表から、集落の歩みをたどる[3]。

藩の山を守る足軽の村

江戸時代のはじめ、福岡藩は犬鳴の山を藩の山林として管理し、木を植え、船の櫓や炭を切り出していた。1691年(元禄4年)、篠崎文内という人物が犬鳴山に移り、庄屋の役を命じられる。報告書の年表は、この年を集落の歩みの起点に置いている[3]。日本語版Wikipediaの「犬鳴」の項は、このとき藩有林を守るために藩の足軽の家々が移り住み、犬鳴谷村ができたと書いている[4]。

山の村は、産業の村でもあった。1748年には幕府から送られた朝鮮人参の種を犬鳴山で育て、江戸へ献上している。18世紀の終わりには炭窯が8か所あり、1854年には砂鉄から鉄を作る「犬鳴鉄山」の事業が始まった。木炭の生産は、戦後の1965年まで続いている[3]。

資料の事情について。犬鳴の歴史は、主に福岡県教育委員会の1990年の報告書にある「犬鳴関係年表」によった。この報告書はスキャン画像のPDFで公開されており、文字を機械で照合できないため、引用はせず要約にとどめた。足軽の家々が移り住んだという話は、Wikipedia「犬鳴」の項にあるが、その節には出典が十分に示されておらず、元の史料(藩の文書など)はこの調査では確かめられなかった[3][4]。
木立に囲まれた芝生の広場の奥に、苔むした石垣が残る
CC BY-SA 4.0犬鳴御別館の跡に残る石垣(宮若市犬鳴)。幕末の1864年に福岡藩が築き始め、翌年に完成した[3]。2018年撮影。撮影:郵便振替。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

幕末の1864年、福岡藩はこの山奥に「別館」と呼ばれる建物を築き始めた。翌1865年、藩内の政治の争いで重臣の加藤司書らが処分され、同じ年の11月に別館は完成している[3]。いまダムの湖が「司書の湖」と呼ばれるのは、この加藤司書にちなむ[5]。

学校のある、ふつうの山里

明治に入ると、1872年に民家を借りて子どもの教育が始まり、1885年に犬鳴小学校となった。のちに隣の学校の分教場(分校)になる。1949年には峠を越える県道が開通した[3]。年表に並ぶのは、炭を焼き、子どもを学校に通わせ、道路の開通を待つ、山里の暮らしの記録だ。「外部との接触を一切絶った」村の姿は、どこにもない。

白黒の空中写真。谷底を川と道が縫い、ところどころに家と段々の田畑が見える
CC BY 4.0互換1961年に撮影された犬鳴の谷の空中写真。谷に沿う道の脇に家と田畑が並ぶ。ダムができる前の姿だ。撮影:国土地理院。国土地理院コンテンツ利用規約により出典を示して使用。 / Wikimedia Commons

ダムと集団移転

戦後、犬鳴川の水害を防ぎ、水道や工業用の水をまかなうため、県営の犬鳴ダムが計画された。1968年に調査が始まったが、山陽新幹線のトンネルが予定地の真下を通ることになり、トンネル工事で川の水が涸れるなどの問題が起きて、計画は大きく遅れた[5]。

そのあいだに、集落は暮らしを終えていく。1965年に炭焼きが終わり、1966年に分校が閉じた。そして1986年(昭和61年)、住民はダム建設のため、ふもとの脇田地区へ集団で移った[3]。ダムの事業は1994年度に完了し、集落の大部分は湖の底に沈んだ[5][2]。

干上がった川底に、古いコンクリートの橋の欄干が泥をかぶって残っている
CC BY-SA 4.0犬鳴ダムの水位が下がったときだけ姿を見せる、旧集落の下谷橋の跡。2018年撮影。撮影:Inglid。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

村が「地図から消えた」のは本当だ。ただ、それは隠されたからではない。住民がふもとへ移り、県の教育委員会がその前に暮らしを記録して報告書に残した、ごく公的な出来事だった。報告書の序は、昭和60年から4年間かけて、沈む地区の文化財を調べたと記している[3]。

カラーの空中写真。山に囲まれた谷に、細長いダム湖が水をたたえている
CC BY 4.0互換1995年5月に撮影された同じ地域の空中写真。谷は犬鳴ダムの湖になっている。撮影:国土地理院。国土地理院コンテンツ利用規約により出典を示して使用。 / Wikimedia Commons

03峠のトンネルが「心霊スポット」になるまで

噂の舞台は、集落そのものより、少し南の犬鳴峠のほうだ。福岡市側の久山町と、筑豊側の宮若市を分ける峠で、古くは道が険しく、地元の人もあまり使わなかったという[6]。

峠に「犬鳴隧道(ずいどう)」が通ったのは1949年11月3日。明治の半ばに一度着工して中断し、昭和に入って地元があらためて求めた末の開通だった。福岡と筑豊を結ぶ近道として車が増えたが、道は急なカーブが続く難所だった。1975年に新犬鳴トンネルが開通すると、古いトンネルと旧道は使われなくなる[6]。

山の斜面に開いた、二車線の道路の新しいトンネルの入口
CC BY-SA 3.01975年に開通した新犬鳴トンネル。いまの県道21号はこちらを通る。2007年撮影。撮影:KEIY.jp。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

人が通らなくなった山の中の古いトンネルは、噂の格好の舞台になった。Wikipediaは、ネットで村の話が語られるより前から、こうした噂があったと書く[1]。

福岡県にある犬鳴峠旧道のトンネル工事における犠牲者の霊が出るという噂は存在していた

1988年12月には、旧トンネルで、20歳の男性が少年たちのグループに連れ去られ、命を奪われる事件が起きた。翌1989年9月、福岡地裁は主犯格の少年に無期懲役を言い渡している[2][6]。Wikipediaは、人通りの絶えた旧道がこの事件によって「恐怖の噂」の震源地としての色合いを強めていった、と書いている[1]。被害者がいる出来事なので、この記事ではこれ以上の詳細には触れない。

1988年の事件について。日付と判決は、鳥飼論文の文献表に挙がっている朝日新聞の記事(1988年12月10日朝刊、1989年9月4日夕刊)の見出しと、Wikipedia「犬鳴峠」の記述によった[2][6]。Wikipediaは、主犯の無期懲役が確定したのを1991年としている。新聞記事の本文は、この調査では読めていない。

ネットの初期には、地元の情報サイトが犬鳴峠を「怖い場所」として紹介していた。2000年に保存された福岡のサイトの記事は、こう書き出している[7]。

車の横を走ってついてくるおばあさんだとか、車の中で足首を掴まれるとか、コワイ体験談で有名な犬鳴峠。

この記事は同じ段落で事件のことにも触れているが、「村」の話は一言も出てこない。2000年前後の段階では、犬鳴峠はまず「幽霊の出るトンネル」であり、「事件のあった場所」だった。そこへ、別の筋の話が流れ込んでくる。

041999年、掲示板に現れた「村」

研究者の鳥飼かおるは、犬鳴村の都市伝説は1990年代の終わりから2000年初めにかけて、主に2ちゃんねるで語られ始めたとしている[2]。その典拠に挙げられた掲示板の記録は、有志の保存サイトに残っていた。スレッドの名前は「犬鳴峠」。最初の書き込みは1999年10月30日だ[8]。

テレビ番組への「調査依頼」

最初の書き込みは、前日に別の板で話題になった一つのリンクを紹介していた。日本テレビの番組「特命リサーチ200X」のサイトで、視聴者が番組に調べてほしい謎を投稿するページだ[8][9]。依頼のタイトルは「日本に在って日本でない村」。のちの書き込みで、その文面が掲示板に転載されている[8]。

依頼文の中身は、のちの犬鳴村伝説のほぼ全部を含んでいる。トンネルの横の細い道を登ると、地図にない村がある。斧のようなものを持った男たちに車を壊された。携帯電話が圏外になる。警察が入れない地域らしい。そして、あの看板だ[8]。

「この先、日本国憲法つうじません」といった旨の立て札もあるそうです

どれも「知り合いが見た」「ある人から聞いた」という伝聞だ。依頼文には、村人の生まれをめぐる差別的な憶測も、「単なる憶測」と断りながら書き込まれていた。噂は、その出発点からすでに偏見を抱え込んでいた[8]。

この依頼が番組で実際に取り上げられたのかは、確かめられなかった。依頼のページそのものは保存されておらず、残っているのは掲示板への転載と、依頼ページの目次だけだ[9]。

最初から疑われていた

掲示板の反応は、意外なほど冷静だった。戦時中はどんな山奥にも召集令状が届いた、太閤検地もあった、隠れ里があるならツチノコのほうがまだ神秘的だ、という書き込みが早々に付く。空から見れば一発で分かる、アメリカのホラー映画にそっくりだ、という声もあった[8]。

地元に近い人の書き込みもある。あのあたりに民家はなく、ダムと採掘場らしきものくらいしかない、という指摘に続いて、ふもとに住む友人に聞いたという人が、こう書いた[8]。

犬鳴村の事を聞いたら「あぁあの水没した村のこと?」って言ってたよ。

噂が広まり始めたまさにその時点で、正解はもう出ていた。実在の犬鳴はダムに沈んだ集落で、旧トンネルの先には何もない。それでも噂は消えなかった。「地図に載っていない」という部分が、ダムで消えた集落の事実と、たまたま噛み合ってしまったからかもしれない。

編集者の広坂朋信は、犬鳴村や杉沢村、きさらぎ駅のようなネットの「新名所」に共通する点を挙げている。具体的な地名や駅名がはっきり出ているのに、「地図にない村」「今はない村」「路線図にない駅」であることが強調される。そのため、話を受け取った人の関心は、そこで何が起きるかよりも、その場所を探し出すことに向かうという。鳥飼の論文が紹介するこの見方は、のちに旧トンネルへ人が押しかけることになる理由の一つを言い当てている[2]。

初出について。この記事で確認できた最も古い記録は、上の1999年10月のスレッドと、そこで紹介された番組サイトの依頼文だ。同じスレッドには「九州@あめぞう」という別の掲示板にも犬鳴のスレッドがあるという書き込みがあり[8]、2ちゃんねる以前から語られていた可能性がある。そちらの記録は確かめられなかった。また、犬鳴村は青森県の「杉沢村」伝説からの連想で作られたという指摘があり[1][2]、鳥飼は杉沢村が初めてテレビで取り上げられたのを2000年としている[2]。犬鳴の依頼文はそれより前の1999年10月のものなので、テレビで有名になった杉沢村を真似た、という順番ではなかったことになる。杉沢村の噂がそれ以前にネットでどこまで知られていたかは、この調査では確かめられなかった。

05看板の出どころと、噂が運んだ偏見

あの看板は、誰が立てたのか

犬鳴村伝説でいちばん有名な小道具は、「日本国憲法」の看板だ。これについて、ひとつの手がかりを記録しているのが、鳥飼の2018年の論文である。

鳥飼は2014年、心霊スポットを訪ね歩くウェブサイトの運営者から、2000年か2001年に「現場」で撮ったという立て札の写真2枚を提供された。運営者の説明はこうだ。1970〜80年代、暴走族など地域の不良少年たちが夜中に騒いで花火をしたり喧嘩をしたりして、地元の人は困っていた[2]。

犬鳴山中で農業を営んでいた数世帯の住民のうちのひとりが、彼らを追い払うため、これらの立て札を立てていたということでした。

つまり看板は、隠れ里の境界ではなく、夜中に押しかける若者への「来るな」という警告だった可能性がある。Wikipediaによれば、旧道と旧トンネルは、不法投棄や暴走族のたまり場になる問題が起きたことから閉鎖された。この説明とよく合う[6]。

ただし鳥飼自身が書いているとおり、この写真の立て札が、都市伝説で語られる看板と同じものだったかは、今となっては確かめようがない[2]。立てた人の話も、運営者を通した伝聞だ。看板の文句が噂のとおりだったのか、写真に何と書かれていたのかも、この記事では確かめられなかった。

確かに言えるのは、言葉が立てた人の手を離れて独り歩きしたことだ。鳥飼によれば、2014年ごろのネット動画では、この看板は「隔離された人々」や「反体制の人々」が立てたものとして語られ、偏見に満ちた住民像が重ねられていた。2016年に出た本では、話は「銃痕」や「ナタを持った男」にまでふくらんでいる[2]。

噂が偏見を運ぶとき

犬鳴村伝説が他の怪談と違うのは、怖さの中心が幽霊ではなく「人間」にあることだ。しかもその人間は、実在する地名を持つ場所の住民として語られる。鳥飼は論文の冒頭で、まずこう断っている[2]。

言うまでもなく、これらは全く事実無根の話です。

そのうえで鳥飼は、なぜこうした住民像が「犬鳴」に貼り付いたのかを考えた。手がかりにしたのは、山の中で暮らす人々を「自分たちとは違う人々」として見てきた古い見方と、炭鉱で栄えた「筑豊」という土地について、外の人々が抱いてきたイメージだ。犬鳴峠は、福岡市の側から見れば、その筑豊への入口にあたる[2]。

鳥飼は、これが噂のイメージのすべてを説明するとは言っていない。ただ、根拠があってデマが生まれるのではなく、もともとくすぶっていた負のイメージを「正当化」するために、それらしい材料が引っぱり出される、と指摘する。そして、それは特別な誰かのしわざではないと書く[2]。

誰でもが悪意なく、行い得る振る舞いなのです。

1999年の依頼文も、「単なる憶測」と断りながら差別的な想像を書き添えていた[8]。書いた本人に悪意があったかどうかは分からない。けれど、断り書きは転載されるうちに落ち、想像だけが「犬鳴村の住民」の特徴として残っていく。実際には、そこに住んでいたのは、藩の山を守り、炭を焼き、子どもを分校に通わせた人々だった[3]。その人々は、ダムのためにふもとの脇田へ移った[3]。噂の「村人」に向けられた好奇心や恐怖は、行き先を失った偏見でもある。

本の世界も、この流れを止めなかった。鳥飼によれば、犬鳴村は2011年の雑誌の別冊や2016年の『福岡の怖い話』などでも取り上げられたが、それらはネットの「後追い」だった[2][1]。

062020年の映画と、封鎖されたトンネル

噂が全国に知られる決定打になったのは、2020年2月7日に公開された映画『犬鳴村』だ。監督は『呪怨』シリーズの清水崇、配給は東映で、福岡県に実在する心霊スポットを舞台にしたホラーとして紹介された[10]。公開から1か月足らずの3月1日に興行収入10億円を超え、2日時点で観客は80万人を超えた[11]。最終的な興行収入は14.1億円とされる[12]。

映画の中身は、噂をなぞるものではない。Wikipediaによれば、山奥にある狂人たちの集落という都市伝説を、幽霊や悪霊の物語に作り替えている[12]。宮若市は映画に「特別協力」として名を連ね、公開前には旧吉川小学校で試写会も開かれた。当時の市の幹部は、心霊スポットとして知られることへの不安も口にしていた[12]。

その不安は当たった。公開から4か月後、西日本新聞はこう報じている[14]。

同所を題材にしたホラー映画(2月公開)の影響とみられ、県外ナンバーの車も目立つ。

記事によれば、夜に旧トンネルを訪れる若者と住民とのトラブルが相次ぎ、ごみが散らかり、侵入を防ぐフェンスが破られる被害もあった[14]。宮若市はホームページで、旧トンネルとそこへ向かう旧道は通行できず、両側の自治体が門を設けて侵入を禁じていると告知した。警察の要請でバリケードも置いている[13]。

不法侵入は犯罪になります。また、道路に陥没や落石があり大変危険ですので、柵を超えて立ち入らないようにしてください。

草木に覆われた山肌に、コンクリートのブロックで塞がれた古いトンネルの入口がある。左に石碑が立つ
CC BY-SA 4.0入口をコンクリートのブロックで塞がれた旧犬鳴トンネル(犬鳴隧道)の宮若市側。左の石碑は開通の記念碑。2015年撮影。いまは手前の旧道ごと立ち入り禁止になっている[13][6]。撮影:Pontafon。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

同じページで、市は映画についても一文を添えた[13]。

フィクション(架空)の内容であり、犬鳴ダム建設と集団移転、新道建設による旧道犬鳴トンネルの廃止等についても、映画の内容は事実と異なります。

自治体が、自分の町を舞台にした映画について「事実と異なる」とわざわざ書く。その背景には、実在した集落の移転の歴史が、作り話の材料として消費されていくことへの困惑が読み取れる。

説根拠評価
外部と接触を断った「犬鳴村」が今もある実在の集落は1986年に集団移転し、ダムの底に沈んだ。宮若市も映画は事実と異なると告知[3][13]否定的
実在した犬鳴の集落が名前の元1691年に始まる集落が記録に残り、噂も地名だけは本物[3][1]有力
「日本国憲法」の看板は実在した住民が若者を追い払うため立てたという伝聞と写真はあるが、噂の看板と同じものかは不明[2]確かめられず
杉沢村伝説を真似て作られた研究者の指摘はあるが、犬鳴の依頼文(1999年)は杉沢村のテレビ放送(2000年)より前[2][8]確かめられず
トンネルの怪談と実際の事件が土台になったネット以前から霊の噂があり、2000年のサイトも怪談と事件で峠を紹介している[1][7]有力

07湖の底にあるもの

記録として振り返ると、犬鳴村伝説の歩みはこうなる。江戸時代に藩の足軽の村として始まった犬鳴は、炭と鉄と山の暮らしを営み、1986年にダムのため住民が移った。峠の古いトンネルは1975年に役目を終え、人の通らない場所になり、幽霊の噂と実際の事件が重なって「怖い場所」になった[3][6][1]。

1999年10月、テレビ番組への調査依頼という形で、そこに「地図にない、憲法の通じない村」の話が現れ、掲示板で広まった。噂は最初から疑われ、地元の人は「水没した村のこと?」と答えていた。それでも話は本や映画へと受け継がれ、2020年には映画を見た人々が封鎖されたトンネルへ押しかけた[8][14]。

ネット怪談の多くは、どこにもない場所を舞台にする。犬鳴村が厄介なのは、舞台が実在し、そこに暮らした人々がいて、移った先もすぐ近くにあることだ。噂の村は存在しない。けれど、湖の底には、本当にあった村の道や橋が沈んでいる。怖い話として楽しむなら、少なくともその違いだけは忘れずにいたい。そして、旧トンネルは見に行く場所ではない。危険で、法律で立ち入りが禁じられた場所だ[13]。

出典・参考資料

  1. Wikipedia日本語版「犬鳴村伝説」(鳥飼かおる 2014–2018、広坂朋信 2016、朝倉喬司 2011 などを典拠とする記事). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%B3%B4%E6%9D%91%E4%BC%9D%E8%AA%AC(閲覧 2026-10-06)↩
  2. 鳥飼かおる「「筑豊」という「場所」から考える、都市伝説「犬鳴村」のイメージ生成について」『エネルギー史研究:石炭を中心として』33号, 九州大学附属図書館付設記録資料館産業経済資料部門, 2018年, 175–190頁(九州大学学術情報リポジトリ, PDF). https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1932037/p175.pdf(閲覧 2026-10-06)↩
  3. 福岡県教育委員会『犬鳴:福岡県鞍手郡若宮町犬鳴区の調査』(犬鳴川治水ダム関係文化財調査報告1, 福岡県文化財調査報告書91), 1990年(全国文化財総覧でPDF公開). 序、「犬鳴関係年表」203–206頁. https://sitereports.nabunken.go.jp/82878(閲覧 2026-10-06)↩
  4. Wikipedia日本語版「犬鳴」(福岡県宮若市の大字。犬鳴谷村の歴史の節を含む). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%B3%B4(閲覧 2026-10-06)↩
  5. Wikipedia日本語版「犬鳴ダム」. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%B3%B4%E3%83%80%E3%83%A0(閲覧 2026-10-06)↩
  6. Wikipedia日本語版「犬鳴峠」(「犬鳴トンネル」からの転送先). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%B3%B4%E5%B3%A0(閲覧 2026-10-06)↩
  7. 白木メディア「トワイライトゾーン福岡:犬鳴峠」(Internet Archive の2000年6月20日保存版). https://web.archive.org/web/20000620102028/http://www.adsccat.co.jp:80/hakata/journal/twilight/inunaki.html(閲覧 2026-10-06)↩
  8. 2ちゃんねる「犬鳴峠」スレッド(1999年10月30日〜)の過去ログ。有志の保存サイトに残るもの(Internet Archive の2002年10月24日保存版). https://web.archive.org/web/20021024051403/http://www.geocities.co.jp:80/SiliconValley-Cupertino/6961/kowai/Inunaki.html(閲覧 2026-10-06)↩
  9. 日本テレビ「特命リサーチ200X II - Research Request」(視聴者の調査依頼ページの目次。Internet Archive の2000年1月22日保存版). https://web.archive.org/web/20000122175128/http://www.ntv.co.jp:80/FERC/request(閲覧 2026-10-06)↩
  10. 映画.com「犬鳴村:作品情報」. https://eiga.com/movie/90455/(閲覧 2026-10-06)↩
  11. シネマトゥデイ「『犬鳴村』興収10億円&動員80万人を突破!」2020年3月3日. https://www.cinematoday.jp/news/N0114485(閲覧 2026-10-06)↩
  12. Wikipedia日本語版「犬鳴村 (映画)」. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%B3%B4%E6%9D%91_(%E6%98%A0%E7%94%BB)(閲覧 2026-10-06)↩
  13. 宮若市「旧犬鳴トンネルについて(映画『犬鳴村』)」(最終更新 2020年7月16日). https://www.city.miyawaka.lg.jp/kiji003447582/index.html(閲覧 2026-10-06)↩
  14. 西日本新聞me「“心霊スポット”で迷惑行為 映画公開の影響?旧犬鳴トンネル」2020年6月1日(冒頭の無料公開部分). https://www.nishinippon.co.jp/item/612952/(閲覧 2026-10-06)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。