イリオモテヤマネコ発見の記録
島の「山のネコ」は、どうやって実在の動物になったか
西表島の人々は、山にすむネコを昔から知っていた。だが学問の世界では、その存在は「うわさ」の域を出なかった。1965年に毛皮と頭骨が東京へ届き、1967年に論文が出て、イリオモテヤマネコは実在の動物になった。何が「うわさ」を「確認」に変えたのか。そして、今も確かめられていないもう一つの光る目、ヤマピカリャーは何なのか。論文と行政資料を読み直す。
この記事の要点
- 島の人々はヤマネコを以前から知っていた。記載論文自身が「島の人々によく知られ、イノシシのわなにもかかる」と書いている
- 決め手は1965年に戸川幸夫が集めた毛皮と頭骨。1967年5月、今泉吉典が新属新種 Mayailurus iriomotensis として記載した
- 1990年代のDNA研究で、ベンガルヤマネコにごく近いと分かった。いま環境省は亜種 Prionailurus bengalensis iriomotensis として扱う
- 生息数は「約100頭」(2008年の推定)。山地にもすむと分かり、最新の全島推定はまだない。交通事故は1978〜2021年に97件
- 別の大型ネコ「ヤマピカリャー」は目撃談が続くが、標本はない。環境省のセンターも「存在は確認していない」としている
01島の人は知っていた:ヤママヤーと、山で光る目

イリオモテヤマネコは、日本で「未確認だった動物が確認された」例として、よく名前が挙がる。オカピやシーラカンスと同じく、うわさや言い伝えが、標本と論文によって実在の記録に変わった話だ。ただ、その順番をよく見ると、「誰も知らなかった動物が突然見つかった」という言い方は正確ではない。
1967年に新種として記載した論文そのものが、島の人々が昔からこのネコを知っていたと書いている。
This wild cat has long been well known by natives of this island and not infrequently captured in traps for wild boars.
この山猫は、島の人々に昔からよく知られており、イノシシのわなにかかることも珍しくなかった。
島の言葉では、ネコは「マヤー」と呼ばれる。論文が新しく立てた属の名前 Mayailurus(マヤイルルス)の「マヤ」は、この島で広く使われるネコの呼び名から取った、と論文の末尾の「Remarks」に書かれている[1]。
今泉吉典と戸川幸夫の著書を出典にまとめたウィキペディア日本語版によれば、島では山にいる野生のネコを「ヤママヤー」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)、「メーピスカリャー」(目がぴかっと光るもの)などと呼び、野良猫の「ピンギマヤー」や飼い猫の「マヤー」とは呼び分けていたという[4]。夜の山で、目だけが光って見える。呼び名そのものが、人々がこの動物をどう見てきたかを伝えている。
一方で、島の外ではもちろん、島の中でも「野生化した飼い猫だろう」と考える人は少なくなかった[14]。発見に協力した元教員の親富祖善繁さんは、2015年の取材にこう話している。
地元の人はイエネコだと思っている人も多かった。
「よく知られた動物」と「正体の分かった動物」は違う。島の人が見ていたネコが、ほかの土地のネコと同じなのか、違うのか。それを比べて決めるには、毛皮と骨が要った。
この構図は、1901年のオカピとよく似ている。オカピもイトゥリの森の人々には以前から知られていて、西洋の動物学に「確認」させたのは、現地から届いた皮と頭骨だった。うわさの動物が実在の動物になる時、変わるのは動物そのものではない。研究者どうしで共有し、比べ、あとから確かめ直せる記録が生まれるかどうかだ。イリオモテヤマネコの場合、それが1965年に起きた。
021965年、戸川幸夫が持ち帰った毛皮と頭骨

話を動かしたのは、動物文学の作家・戸川幸夫(1912〜2004)だ。新聞記者を経て『高安犬物語』で直木賞を受け、動物を正確な知識にもとづいて描く作家として知られていた[2]。のちに発見の経緯を『イリオモテヤマネコ』(1972)という本にまとめている[2]。
発見までには、何人もの人の手が関わっている。西表島西部の網取にあった中学校で理科を教えていた親富祖善繁さんは、漁師から聞いた「大きなネコ」の話に興味を持ち、琉球大学の高良鉄夫教授に「ヤマネコがいるかもしれない」とはがきを送った。戸川には、のちに大事な証拠となる頭骨の発掘などで協力した[3]。
親富祖さんは2015年、「イリオモテヤマネコ発見50年展」を訪れ、「当時は世紀の大発見になるとは思わなかった」と振り返っている[3]。
1967年の論文は、標本が集まった順番を具体的に書き残している。1965年の冬に島を訪ねた戸川が、生の毛皮2枚と頭骨1つを手に入れた。これらは、高良教授の頼みで島の人が保管していたものだった[1]。
No wild species of Carnivora had been known from this island till Mr. Yukio Togawa, a famous naturalist in Japan, obtained two raw skins and the skull
日本の著名な博物作家である戸川幸夫氏が生の毛皮2枚と頭骨を入手するまで、この島からは野生の食肉類は1種も知られていなかった。
戸川はこの標本を、1965年3月14日に東京で開かれた日本哺乳動物学会の会合で示した。さらに同じ年の6〜7月、2度目の調査で、成獣の雄の毛皮とほぼ全身の骨格、性別不明の成獣の頭骨、若い個体の頭骨を集めた。1966年には東京農業大学の調査隊が、頭骨をさらに2つ持ち帰っている[1]。
ここで大事なのは、「見た」「聞いた」という話が、ほかの研究者が手に取って比べられる物に置き換わったことだ。毛皮だけ、頭骨一つだけでは、珍しいイエネコの個体ではないかという疑いが残る。数体分の毛皮と骨がそろって初めて、「同じ特徴を共通して持つ集団がいる」と言えるようになった。
名前をめぐっては、こんな話も伝わっている。今泉は発見者の名を取って「トガワヤマネコ」と名付けようとしたが、戸川が辞退し、ツシマヤマネコにならって島の名前を付けることを提案したという[4]。
031967年の記載論文を読む:新しい属 Mayailurus

標本を調べたのは、国立科学博物館の動物学者・今泉吉典だ。論文は1967年5月、『哺乳動物学雑誌』第3巻4号に英文で載った。題は「A new genus and species of cat from Iriomote, Ryukyu Islands」。新しい属と新しい種を同時に立てる、大きな主張だった[1]。
記載の基準となる標本、ホロタイプは「M10890」。成獣の雄の平たい毛皮と頭骨、ほぼ全身の骨格で、産地は南風見田、採集者は戸川、保管先は国立科学博物館と書かれている[1]。新種の名前は、この一体の標本に結びつけられている。
ホロタイプが博物館に保管されていることには、大きな意味がある。名前を付けた研究者の判断が正しかったかどうかを、後の世代が同じ標本に戻って確かめられるからだ。実際、この記事の後半で見るように、今泉の「新しい属」という判断は、のちに別の方法で見直されることになる。見直しができるのは、物が残っているからだ。
論文の和文の抄録は冒頭で、高良鉄夫博士の示唆によって戸川幸夫氏が発見した山猫を、イリオモテヤマネコ Mayailurus iriomotensis と命名した、とまとめている[1]。
今泉は、見た目がベンガルヤマネコ(英名レオパードキャット)に似ていることを認めていた。そのうえで、耳の奥の骨のふくらみ(聴胞)がとても小さいこと、上あごの小臼歯が一対ないこと、頭骨の下側に独特の楕円形の盛り上がりがあることなど、多くの点で違うとした[1]。165の形質をもとに似ている度合いを計算すると、ほかの属とはかけ離れていた。いちばん近かったのは、南米のジャガランディだったという[1]。
さらに、ベンガルヤマネコでは子どものうちにしか見られない特徴を、このネコは大人になっても残している。今泉はそこから、非常に古いタイプのネコだと考えた。
イリオモテヤマネコが新旧両世界産猫類の共通の祖に近い原始的な遺存種の一つであることは確かだといえよう。
「生きている化石」のような原始的なネコが、小さな島で生き残っていた。この見方は、のちの百科事典にも受け継がれている。今泉自身が執筆した世界大百科事典の項目も、化石のネコ「メタイルルス」に近い〈生きている化石〉と考えられている、と書いている[6]。発見のニュースが大きく扱われた理由の一つは、ここにあった。
論文には、もう一つ興味深い一文がある。島のイエネコは、第二次世界大戦の後、マラリア対策のDDTでいなくなっていたという[1]。もし事実なら、「野生化した飼い猫」説が当てはまりにくい時期があったことになる。ただし、論文はこの点の根拠を詳しく書いていない。
04「原始的なネコ」から「ベンガルヤマネコの亜種」へ

新属新種という結論は、そのまま定着したわけではない。形の違いは、小さな島で長く隔てられた集団にも起こりうる。どこまでが「別の属」の違いで、どこからが「同じ種の地域差」なのか。形だけでは決めにくいこの問いに、1990年代、DNAの研究が答えを出した。
ここで言葉を整理しておく。「属」は種より一つ上のまとまりで、ネコ科なら、イエネコの属、ヒョウの属、ベンガルヤマネコの属などがある。「亜種」は種より一つ下で、同じ種のなかで地域ごとに少しずつ違う集団を指す。新属新種から亜種へ、というのは、「遠い親戚」と思われていたものが「同じ家族の、島で暮らす一員」と分かった、というくらいの変化だ。動物が変わったのではなく、比べる物差しが増えたのである。
1994年、遺伝学の学術誌に、リボソームDNAという遺伝子領域を比べた研究が出た。イリオモテヤマネコとベンガルヤマネコは同じ型を共有し、イエネコやオセロットとははっきり違っていた[7]。
These results indicate that, phylogenetically, the Iriomote cat is closely related to the leopard cat and that the ancestral population moved from the continent to Iriomote Island quite recently.
これらの結果は、系統的にイリオモテヤマネコがベンガルヤマネコに近縁であり、祖先の集団が大陸から西表島へ比較的最近移ってきたことを示している。
同じころ、ミトコンドリアDNAを調べた増田隆一さんらの研究も、イリオモテヤマネコとツシマヤマネコが、ベンガルヤマネコと同じ系統に入ることを示した[8]。今泉が「原始的」と考えた特徴は、遠い祖先の名残というより、島の集団で目立つようになった性質と読むほうが、遺伝子の結果と合う。
その結果、日本の行政もこのネコをベンガルヤマネコの亜種として扱っている。環境省のレッドリスト2020では、学名 Prionailurus bengalensis iriomotensis で、最も絶滅の危険が高い「絶滅危惧IA類」に入っている[9]。
分類の議論は、そこでも終わっていない。2017年、国際自然保護連合(IUCN)のネコ専門家グループは、ネコ科全体の分類を見直す報告を出した。この報告はまず、DNAの研究がこのネコをベンガルヤマネコだと示した、と整理する[8]。
recent molecular studies have clearly demonstrated that P. iriomotensis is a leopard cat
最近の分子研究は、P. iriomotensis がベンガルヤマネコであることをはっきり示した。
そのうえで報告は、イリオモテヤマネコを独立した亜種とも認めず、ツシマヤマネコや台湾、中国東北部(満洲)、ロシア極東の集団と同じ北方系の亜種 euptilurus に含めた。表の注には「島での独自性を決めるにはさらなる研究が必要」「おそらく人が持ち込んだ」とまで書かれている[8]。
ただ、「人が持ち込んだ」という見方について、この報告は毛色が中国北部のベンガルヤマネコに似ていることを挙げるだけで、詳しい根拠は示していない[8]。この記事では、これを決着した事実ではなく、一つの見解として扱う。日本の環境省は2020年のリストでも、亜種 iriomotensis として評価を続けている[9]。
05約100頭という数字は、どうやって出たか

実在が確かめられたあとも、調べることは残った。何頭いるのか、どこにすむのか、何が減らす原因になっているのか。環境省は1970年代から、ほぼ10年おきに総合調査を続けてきた。第1次が1974〜76年度、第4次が2005〜07年度だ[10]。
よく引かれる「約100頭」は、2008年に発表された第4次調査の結果だ。
環境省としては、イリオモテヤマネコの生息個体数を およそ100個体と推定しています
この数字は、島の全部を数え上げたものではない。電波発信機を付けた個体の追跡や自動撮影カメラで、いちばん多くすむ低地での密度を出し、標高200メートル以上の山地はその5分の1の密度と仮定して、面積をかけて計算している。計算のしかたによって100〜109頭になり、前の第3次調査のデータを同じ方法で計算し直すと108〜118頭だったため、「減少傾向」と判断された[10]。
その後、前提の一つが揺らいだ。2022年度からの「10ヶ年保全計画」は、山地にも定住する個体がいて繁殖もしており、低地と同じくらいの密度でいる可能性が示された、と書いている[11]。つまり「約100頭」は少なめに出ていたかもしれない。一方で、新しい数はまだ出ていない。
全島を同じ基準で推定するような個体数推定手法は確立できておらず、直近の生息個体数を算出した事例はない。
同じ計画は、人の手が届きやすい低地では、1992年から続く調査で急な減少は見られず、安定していると考えられるともしている[11]。「約100頭」は、今も公式の資料や施設の案内で使われている数だ[12]。ただし、それが2005〜07年の調査にもとづく推定であることは、覚えておきたい。

数を減らす原因として、はっきり記録が残っているのが交通事故だ。
交通事故は、記録を取り始めた1978年から2021年末時点で97件確認されており
その9割は、見つかった時にはすでに死んでいた。年平均の件数は2000年代の1.9件から、2010年代には4.0件に増えている[11]。届け出られていない事故もあると考えられ、実際の被害はもっと多いかもしれない。雌が死ぬと、その地域では新しい雌が住み着くまで子が生まれないため、影響はさらに大きい[11]。
対策も重ねられてきた。道路の下をくぐる小さなトンネル(通称ネコボックス)は、2008年の時点で県道に86か所あり、ヤマネコやその餌になる鳥が使っていることが確かめられていた[10]。島の飼い猫は条例で室内飼いが定められ、ワクチン接種や不妊手術が進められている。イエネコから病気がうつるのを防ぐためだ[11]。発見者の家族も保護に関わり、戸川幸夫の娘・戸川久美さんらのトラ・ゾウ保護基金は、夜の道路のパトロールや学校での授業を続けている[5]。2021年には、西表島が世界自然遺産に登録され、ヤマネコはその価値を示す指標の種とされた[11]。
06もう一つの光る目:大型ネコ「ヤマピカリャー」を確かめる

ここからは、イリオモテヤマネコとは別の話だ。「ヤマピカリャー」という呼び名は、ふつうはイリオモテヤマネコを指すと考えられている。ところが西表島では、ヤマネコよりずっと大きな、ヒョウのようなネコの話も語り継がれてきた。こちらは今も確認されていない。
2007年12月、琉球新報がこの話を伝えている。
ヤマピカリャーとは、西表島の方言で「山の中で目の光るもの」の意味で、生息が言い伝えられている未確認動物。
記事によれば、住民はこの動物をヤマネコとは区別しており、体長は約80〜120センチ、茶色っぽくヒョウのような斑紋があり、尾が地面に付くほど垂れ下がっているとされる。山で出会ったという人は島の西部を中心に47人にのぼり、終戦直後には捕まえて食べた人もいたという[13]。
記事が中心に据えたのは、2007年9月14日の目撃だ。魚の研究で島に来ていた島根大学の秋吉英雄教授が、夕方、崎山半島の海辺で、2.5メートルほどの距離まで近づいてきた動物を見た[13]。
ヤマネコよりずっと大きく、しっぽが長くて斑紋もあった。台湾などで生息するヒョウの一種、ウンピョウと特徴が似ている

同じ記事では、船浮の漁師が4年ほど前、イノシシのわなを仕掛けに行った山で、岩の上から跳んできた「ヤマネコの倍ぐらい」の動物に会ったと話している[13]。もっと古い話もある。ウィキペディア日本語版が戸川の1972年の著書から紹介するところでは、戸川は1965年、猟師が虎毛の大きなヤマネコを殺して捨てたという南風見を訪ねたが、骨は雨で流されていた。猟師の話では、尾は約60センチ、全長はイエネコの2倍ほど、毛は緑がかった虎毛だったという[4]。
肯定する側から見れば、話には一定の重みがある。目撃者は研究者を含み、距離は近く、「イリオモテヤマネコとは違う」と島の人々が昔から呼び分けてきた、という点だ。イリオモテヤマネコ自身も、長く「イエネコだろう」と言われてきた動物だった。
だが、確かめる材料は限られている。1965年の骨は失われ、2007年の記事にも写真や標本はない。環境省の保護センターは当時、こう答えている。
伝説的な話として把握しているが、これまでヤマピカリャーの存在は確認していない
反対の材料もある。ウィキペディア日本語版が今泉の1994年の著書から紹介するところでは、今泉は地元の猟師が持っていた「大ヤマネコ」の頭骨を見たが、それはイエネコのものだった。また今泉は、目撃された大きさのネコが必要とする行動圏の広さから、面積約290平方キロメートルの西表島で暮らせるのは10頭に満たないと計算したという[4]。そこまで少ない数で、長い年月にわたって集団を保つのは難しい。
もう一つ、島には今、調べる目が多い。環境省は自動撮影カメラを各地に置いてヤマネコを調べ、山地での定住や繁殖まで確かめてきた[11]。体長1メートル近い肉食獣が暮らしていれば、カメラや交通事故、わなの記録に一度も残らないのは不自然だ。ただし、山地のカメラの数は低地より少ないと考えられ、「いない」と言い切れる材料もない。
イリオモテヤマネコが確認された道筋を思い出すと、ヤマピカリャーに何が足りないのかも見えてくる。必要なのは、ほかの人が確かめられる物だ。毛皮や骨はもちろん、今なら毛や糞が1つあれば、DNAでどんな動物かを調べられる。自動撮影カメラの写真も、撮影場所と日時が記録されていれば、比べる材料になる。目撃談は、そうした物を探す場所と時期を絞る手がかりとして、大切に記録しておく価値がある。
07判定:うわさを「実在」に変えたもの
ここまでの資料をもとに、よく語られる説を並べて評価した。
| 説 | 根拠 | 評価 |
|---|---|---|
| イリオモテヤマネコは1965年まで誰にも知られていなかった | 記載論文自身が「島の人々によく知られ、イノシシのわなにもかかる」と書く[1] | 否定的 |
| 島の「ヤママヤー」「ヤマピカリャー」の多くはイリオモテヤマネコだった | 島の言葉「マヤ」が属名に残り、島の情報から標本が集まった[1] | 有力 |
| 新属 Mayailurus の原始的なネコ | DNAではベンガルヤマネコにごく近く、比較的最近に大陸から来たとされた[7] | 否定的 |
| ベンガルヤマネコの亜種 | 環境省は亜種 iriomotensis として絶滅危惧IA類に評価[9] | 有力 |
| 人が島に持ち込んだ | IUCN専門家グループの報告が「おそらく」と書くが、根拠の説明は短い[8] | 確かめられず |
| ヤマピカリャーは未知の大型ネコ | 目撃談はあるが標本・写真がない。保護センターは「存在は確認していない」[13] | 確かめられず |
イリオモテヤマネコの話は、「うわさの動物は実在した」という単純な逆転劇ではない。島の人々の知識があり、それを本土の研究者につないだ教員がいて、毛皮と骨を集めた作家がいて、博物館の研究者が標本を比べて名前を付けた。そのあとDNAが分類を書き直し、今は約100頭という推定の中身まで問い直されている。実在の確認は、終わりではなく調査の始まりだった。
ヤマピカリャーの大型ネコは、その最初の段階、毛皮と骨が手に入る前で止まっている。1965年の戸川の時代も、骨は雨に流された。もしこの動物について何かが分かるとすれば、それはイリオモテヤマネコと同じ道、つまり誰もが比べられる物が見つかった時だろう。それまでは、目撃談を記録として丁寧に残しておくことが、いちばん確かな向き合い方だ。
出典・参考資料
- Yoshinori Imaizumi「A new genus and species of cat from Iriomote, Ryukyu Islands(琉球,西表島産の山猫(新属新種)について)」哺乳動物学雑誌 3(4):75–105, 1967年5月13日発行. DOI:10.11238/jmammsocjapan1952.3.75。J-STAGE の書誌・和文抄録と、公開PDFの本文を参照。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmammsocjapan1952/3/4/3_4_75/_article/-char/ja/(閲覧 2026-10-09)↩
- コトバンク「戸川幸夫」(日本大百科全書〈ニッポニカ〉二上洋一 執筆、20世紀日本人名事典 ほか). 経歴と著書『イリオモテヤマネコ』(1972)の書誌を確認。 https://kotobank.jp/word/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E5%A4%AB-177195(閲覧 2026-10-09)↩
- 琉球新報「教え子と捜索 親富祖さん、ヤマネコ発見に協力」2015年5月21日. https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-243195.html(閲覧 2026-10-09)↩
- ウィキペディア日本語版「イリオモテヤマネコ」(「発見の経緯」「ヤマピカリャー」の節). 今泉吉典『イリオモテヤマネコの百科』(1994)、戸川幸夫『イリオモテヤマネコ』(1972)を出典として要約している。本記事では原書を直接確認できなかった部分の紹介にだけ使う。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%86%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3(閲覧 2026-10-09)↩
- 認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金(JTEF)「イリオモテヤマネコ保護基金の誕生」ほか(戸川久美の文、2018年). PDF本文を参照。 https://www.jtef.jp/en/wp-content/uploads/2018/12/180615-history-iriomote.pdf(閲覧 2026-10-09)↩
- コトバンク「イリオモテヤマネコ」(改訂新版 世界大百科事典〈今泉吉典 執筆〉、日本大百科全書〈今泉忠明 執筆〉ほか). https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%86%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3-3143437(閲覧 2026-10-09)↩
- Hitoshi Suzuki ほか「Phylogenetic relationship between the Iriomote cat and the leopard cat, Felis bengalensis, based on the ribosomal DNA」The Japanese Journal of Genetics 69(4):397–406, 1994. J-STAGE の英文抄録を参照。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjg/69/4/69_4_397/_article(閲覧 2026-10-09)↩
- A. C. Kitchener ほか「A revised taxonomy of the Felidae: The final report of the Cat Classification Task Force of the IUCN/SSC Cat Specialist Group」Cat News Special Issue 11, 2017. PDF本文を参照。 https://catsg.org/_files/ugd/7a07e2_bef86871118c4e71867bd44fd3e7d929.pdf(閲覧 2026-10-09)↩
- 環境省「環境省レッドリスト2020」別添資料(2020年3月27日公表). 哺乳類の絶滅危惧IA類の一覧を参照。 https://www.env.go.jp/content/900515981.pdf(閲覧 2026-10-09)↩
- 環境省 報道発表資料「イリオモテヤマネコ生息状況等総合調査(第4次)の結果について(お知らせ)」2008年8月7日. https://www.env.go.jp/press/10060.html(閲覧 2026-10-09)↩
- イリオモテヤマネコ10ヶ年保全計画連絡会議「イリオモテヤマネコ10ヶ年保全計画(令和4(2022)年度~令和13(2031)年度)」. 環境省 沖縄奄美自然環境事務所 掲載のPDF。 https://kyushu.env.go.jp/okinawa/content/000066860.pdf(閲覧 2026-10-09)↩
- 環境省「西表野生生物保護センター」施設紹介ページ. https://www.env.go.jp/nature/kisho/wildlifecenter/iriomote.html(閲覧 2026-10-09)↩
- 琉球新報「伝説の生物『ヤマピカリャー』? 西表で目撃相次ぐ」2007年12月27日(松堂秀樹). 元記事は削除済みのため、ウェブ魚拓(2007年12月28日取得)で本文を確認。 https://megalodon.jp/ref/2007-1228-2250-45/ryukyushimpo.jp/news/storyid-30074-storytopic-5.html(閲覧 2026-10-09)↩
- 講談社ブルーバックス編集部「今日は『イリオモテヤマネコの日』…世界的にも珍しい小さな島に棲むヤマネコ」(サイエンス365days). https://gendai.media/articles/-/81021(閲覧 2026-10-09)↩
この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。