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池田湖のイッシー
1978年の集団目撃と、町とオオウナギの48年

1978年9月3日の夕方、鹿児島県指宿市の池田湖で、湖面を進む「2つのコブ」が目撃された。町はすぐに対策委員会をつくり、写真に10万円の賞金を懸けた。1991年にはビデオ映像が全国に流れ、湖畔は人であふれた。あの夏から48年。国・県・市の資料と当時の報道を読み比べながら、イッシーとは何だったのかを考える。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月4日約13分で読めます出典 16件
池田湖と、その奥にそびえる開聞岳
CC BY-SA 2.0池田湖と開聞岳(2009年撮影)。作者:Kimon Berlin。CC BY-SA 2.0。 / Wikimedia Commons

この記事の要点

  • 1978年9月3日の目撃は、資料によって「親族20人が黒いコブを見た」「小学5年生20人が水音を聞いた」「白い生き物」と中身が大きく違う
  • 指宿市観光協会は1978年10月に対策委員会を設け、無人カメラを置き、写真に10万円を懸けた。12月に撮られた写真に賞金が贈られている
  • 1991年1月の家庭用ビデオがテレビで流れると目撃が急増し、町はタスクフォースやいかだでの監視、イベントで応えた
  • 池田湖は約6,400年前(暦年)の噴火でできたカルデラ湖。オオウナギの群棲地は1969年に市の天然記念物になった。最大1.8メートルほどで、目撃される5〜20メートルとは開きがある

011978年9月3日、池崎の湖岸で何が見えたのか

池田湖は、鹿児島県の薩摩半島の南東部、指宿市にある九州でいちばん大きな湖だ。南には「薩摩富士」と呼ばれる開聞岳がそびえる。江戸時代の書物には、この湖に巨大な竜神がすむという話がすでに書かれている[7]。

湖畔にまつられた池王明神には、こんな言い伝えがある。昔、池田村の農夫の先祖が婚礼に向かう途中、湖のほとりの草むらに「人頭龍身」、つまり人の頭に竜の体をしたものが横たわっているのを見て、短刀で切りつけた[7]。webムーによると、江戸時代に薩摩藩がまとめた『三国名勝図会』では、その晩に農夫が急死し、妻が「われはこの湖の龍王である」と口走ったため、親族が社を建てて謝ったという話になっている[5]。池田湖は、怪物の話が生まれるずっと前から「何かがすむ湖」だった。

その湖が全国に知られたのは、1978年(昭和53年)9月3日の夕方だ。よく語られるのは、次のような話である。午後6時すぎ、湖の北岸の池崎地区で、11歳の男の子といとこが湖岸でキャッチボールをしていた。湖面に黒いコブのようなものが2つ浮かんでいるのに気づき、2人は家に駆け込んで「池の主が出た」と知らせた[5]。

川路家ではちょうど、親類縁者20人ほどが法事のために集まっており

外に飛び出した大人たちは、長さそれぞれ5メートル、高さ40〜50センチほどのコブ2つが、5メートルほどの間をあけて湖面を400〜500メートル進み、水に沈むのを見たという。同じころ、別の岸では高校生5人も妙なものを見たとされる[5]。東スポWEBの記事も、法事で集まった20人ほどが「猛スピードで横切る2つの黒っぽいコブ」を見たと書いている[6]。

ところが、湖畔の看板のために国の観光庁のデータベースへ登録された解説文を読むと、話はかなり違う。2019年度に地元の協議会がつくった年表は、この日の出来事をこう記している。

A group of 20 fifth grade elementary school students in the lakeside Ikezaki neighborhood heard a mysterious splashing sound coming from approximately 300 meters offshore.

湖畔の池崎地区で、小学5年生20人の集団が、湖岸から約300メートル沖で不思議な水音を聞いた。

同じデータベースの別の解説文では、見えたのは「白い」生き物になっている。

On September 3, 1978, a mysterious white creature was spotted swimming across Lake Ikeda at tremendous speed.

1978年9月3日、謎の白い生き物が、ものすごい速さで池田湖を泳いで横切るのが目撃された。

「法事の親族20人」と「小学5年生20人」。「黒いコブ」と「白い生き物」と「水音」。人数の「20」と2つのコブの間隔「約5メートル」は共通しているが、誰が、何を見たのかは資料ごとに食い違っている[3]。

目撃談の食い違いについて 1978年当時の新聞紙面(南日本新聞や鹿児島新報など)の本文は、ネット上では確かめられなかった。webムーの記事には「鹿児島新報 1978年10月21日付」の紙面写真が載っているが、見出しを読み取れる程度だ[5]。どの話が当時の報道にいちばん近いのかは、紙面の原本にあたらないと決められない。この記事では、どれか一つを正解とせず並べて紹介する。

02「イッシー対策特別委員会」と10万円の懸賞

騒ぎへの町の反応は早かった。観光庁データベースの年表によると、1978年10月1日、指宿市観光協会が対策委員会を設けた。11月1日には、カメラを備えた無人の観測所が置かれている[2]。webムーの記事は、もう少し詳しくこう書く。

事件をきっかけに、地元の指宿観光協会はさっそく「イッシー対策特別委員会」を設置、湖畔の展望台に無人のカメラをすえつけて24時間体制で監視するとともに、イッシーの写真を撮影した人物に10万円の賞金を提供することにした。

賞金を受け取る人は、3か月ほどで現れた。1978年12月16日、鹿児島市の自営業の男性が、湖岸の夫婦岩の近くで、白いものに包まれたような物体が沈んでいく瞬間を撮った[5]。年表にも、この日「穏やかだった湖の中心が急に動き、白い生き物が現れた」とある[2]。

指宿観光課はこの写真を鑑定し、検討の結果、イッシーの体の一部であるとして、松原氏に賞金10万円を贈った。

写真はのちにアメリカの団体に送られ、コンピューターで分析された。偽物ではないという判断だったが、物体の細かい形までは見分けられなかった[5]。賞金は払われたが、写っているものが何なのかは、この時点でも決まっていない。

テレビも湖にやって来た。1979年5月9日から15日にかけて、テレビ東京が番組づくりを兼ねた「イッシー探査」を行っている。魚群探知機が水深10メートルあたりに長さ3メートル以上の物体を2つとらえ、夫婦岩の沖では水中に下ろしたスピーカーに湖底から強い振動が伝わったとされる[5]。ただし、その物体が何だったのかを確かめた記録は見当たらない。魚群探知機の反応は魚の群れでも出るため、これだけでは大きな生き物がいた証拠にはならない。

町はその後も、イッシーを「観光の顔」として育てていく。1979年5月27日には漫画家18人が池田湖を訪れ、大きなキャンバスにそれぞれのイッシーを描いた[3]。1983年には、北海道・屈斜路湖の「クッシー」と、イッシーの大きな像がいかだに乗って湖を遊覧した。

ネス湖とアーカート城
CC BY 3.0スコットランドのネス湖とアーカート城。イッシーという名前は、この湖の「ネッシー」にならったものだ。作者:Eusebius。CC BY 3.0。 / Wikimedia Commons

このクッシーとの「出会い」には、手塚治虫さんら漫画家を含む約3,000人が集まった。像は高さ2.6メートル、長さ4.5メートルあり、ドライアイスの霧の中を進んだという[4]。目撃から5年で、イッシーは「探す対象」であると同時に、町のキャラクターになっていた。

031991年、家庭用ビデオの時代

1980年代、目撃の話はいったん少なくなる。ふたたび火がついたのは、家庭用ビデオカメラが広まったころだ。webムーによると、1990年10月21日に展望台から湖面を見ていた男性が、連なって動く黒いコブをビデオに撮っている[5]。そして決定的だったのが、翌1991年の正月の映像だった。

91年1月4日、福岡市の富安氏が家族で指宿スカイラインをドライブ中、湖面に大きな黒いコブを見つけ、持ち合わせた家庭用ビデオカメラで撮影したという。

撮ったのは、富安さんの息子だった。映像には、左から右へ動く物体と、右から左へ動く別の物体が映り、2つは近づいて一つになるように動いたあと、数秒で沈んだという[5]。この映像が2月2日にテレビで流れると、翌日から湖畔に大勢の人が詰めかけた。目撃の届け出は、多い日で1日10〜20件に達したとされる[5]。

町の動きも記録に残っている。観光庁データベースの年表では、1991年2月2日に「イッシー・タスクフォース」が結成され、2月27日には改めて対策委員会が設けられた。3月16日から5月12日まで開かれた「イッシーくんと遊ぼう」には2万6,432人が訪れ、2,670枚のイッシーの絵が集まった。3月には畳40枚と金属の樽40個でいかだをつくり、9日間続けて湖を見張っている[2]。

年表に載る1991年2月の目撃を見ると、2月7日はやすらぎ公園から「右側が頭、左側が尾に見える」生き物、2月9日は湖岸から数百メートルを浮き沈みしながら北から南へ進む生き物、2月16日は湖の中央で「体長5メートル」の生き物、とある[2]。テレビ放映のわずか5日後から、目撃が次々に記録されていったことが分かる。

同じ年表には、この時期の目撃が何件も並ぶ。その書き方は、意外なほど冷静だ。1990年8月の「2つのコブ」については、2頭以上のイルカの群れだった可能性があると添えている。1991年3月19日の目撃は、こう書かれている[2]。

It resembled a parent-and-child dolphin pair playfully surfacing and diving.

それは、浮いたり潜ったりして遊ぶイルカの親子に似ていた。

もちろん、淡水の池田湖にイルカはいない。これは「そう見えた」という見え方の説明だ。黒いものが浮いたり沈んだりする動きは、たしかに生き物らしく見える。ただ、そう見えたことと、未知の生き物がいることは別の話だ。

その後も、3月24日に共同通信の記者が、4月1日にはフジテレビの取材班が、黒いコブや「イッシーらしき物体」を見たり撮ったりしたと伝えられる[6]。しかしwebムーによれば、1993年10月25日の8ミリビデオを最後に目撃はほとんどなくなり、2007年5月17日の目撃を最後に途絶えている[5]。

1991年の記録の食い違いについて 3月19日の目撃を、観光庁データベースの年表は「岸から200メートル」[2]、東スポWEBは「湖畔から40メートルほど」と書いている[6]。また、1978年と1991年の対策組織の名前は「対策委員会」「対策特別委員会」「タスクフォース」「対策本部」と資料ごとに違い、設けたのが観光協会か市役所かもはっきりしない。webムーは1991年に市がイッシーに「特別名誉市民」の称号を与えたと書くが[5]、市の資料では確かめられなかった。

04池田湖はどんな湖か:火山がつくった深い器

上空から見た池田湖。丸いくぼ地に水がたまっている
CC BY-SA 3.0上空から見た池田湖(2010年撮影)。噴火でできた丸いくぼ地に水がたまったカルデラ湖だ。作者:Ray_go。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

イッシーを考えるには、まず湖そのものを知る必要がある。池田湖は周囲約15キロメートル、いちばん深いところは233メートルで、日本で4番目に深い湖だ[1]。

この湖は、火山の噴火でできた「カルデラ湖」である。産業技術総合研究所(産総研)の解説は、成り立ちをこう説明している[8]。

この噴火は,現在の池田湖西部付近での水蒸気爆発で始まり,その後池田湖から東南東方向に延びる線上でつぎつぎと噴火が発生し,現在の池田カルデラの地形を形成するとともに,松ヶ窪,池底,鰻池,成川,山川の爆裂火口,マール群を形成した

上空から見た指宿の火山群。阿多カルデラ、池田湖、鰻池、山川湾、開聞岳などの名前が書き込まれている
CC BY-SA 4.0上空から見た指宿の火山群(2008年撮影、名前の書き込みは撮影者による)。池田湖のまわりに、鰻池や山川湾など同じ噴火でできたくぼ地が並ぶ。作者:Ray_go。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

噴火の年代は、資料によって「約5,500年前」「約5,700年前」「約6,400年前」と分かれる。これは主に、年代の数え方の違いだ。放射性炭素で測った年代は5,500〜5,750年前ほどで、これを実際の暦の年に直すと約6,500年前になる。産総研のデータベースは、カルデラをつくった噴火の始まりを約6,400年前としている[9]。

この噴火で出た火山灰や軽石は、見かけの体積で5立方キロメートルにのぼる[9]。湖の底には今も、底の直径約900メートル、高さ約140メートルの溶岩ドームが沈んでいる。池田湖を含む一帯は、2003年に「池田・山川」として気象庁の活火山に認定された[8]。

水の出入りにも特徴がある。鹿児島県の水質の計画によると、池田湖に流れ込む川や流れ出る川は小さく、湖の水の動きは風の影響が大きい。水は主に雨と、集水域から地表や地下を通って入り、蒸発と湖底からの漏れで出ていく[11]。1929年5月の透明度は26.8メートルで、当時は世界でも指折りの澄んだ湖とされた[11]。

深い湖ならではの事情もある。池田湖では、湖の水が底まで混ざる「全循環」がめったに起きない。県の調査では、水深200メートルの底の層まで混ざったことが確認できたのは1984年2月、1986年4月、2011年2月、2012年2月、2018年2月だけだ[11]。2009年度の調査では、底の層はほぼ酸素のない状態だった[11]。深い湖底は、大きな動物がゆったり暮らせる場所とはいいにくい。

また県の計画によれば、池田湖には農業用の水を確保するため、南九州市頴娃町の3つの川から水が引き入れられ、また湖から取り出されてもいる[11]。湖は自然のままの閉じた器ではなく、人の暮らしと水でつながっている。

1909年に撮影された池田湖と開聞岳の白黒写真
PD1909年ごろの池田湖と開聞岳。ドイツの火山学者インマヌエル・フリートレンダーの撮影。ETH図書館所蔵。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

深く、大きく、川とのつながりが細い。こうした湖は、外から大きな生き物が出入りしにくい。一方で、深い水の底は人の目が届かない。この「見えなさ」が、怪物の話を育てる土台にもなってきたのだろう。

05池田湖のオオウナギ:天然記念物の「本物の大物」

池田湖には、目撃談ではなく、確かにいる「大物」がいる。オオウナギだ。観光庁データベースの解説文は、イッシーより先にこのウナギを紹介している。

The lake is also home to a colony of giant mottled eels, designated a Natural Monument of Ibusuki City in 1969 due to their unusual size.

湖には、その大きさから1969年に指宿市の天然記念物に指定された、オオウナギの群れもすんでいる。

指宿市の指定文化財一覧では、市の天然記念物「おおうなぎ群せい地」(池田湖)の指定日は1969年(昭和44年)11月3日だ[12]。指定されているのはウナギ1匹ではなく、群れですむ場所そのものである。鹿児島県も、これまでに見つかった最大のものは体長1.8メートル、体重20キロほどだったと紹介している[15]。

水槽の底を泳ぐ大きな黒いウナギ
CC BY 2.0「Eel from Lake Ikeda(池田湖のウナギ)」と題された写真(2006年撮影)。水槽で展示されていた大型のウナギ。作者:David Lisbona。CC BY 2.0。 / Wikimedia Commons

オオウナギは、アフリカ東岸から東南アジア、中国南部まで広く分布する熱帯のウナギで、日本はすむ場所の北の端にあたる[13]。では、いつから池田湖にいるのか。市の解説ははっきり書いていない。

サケと同じように海と川を行き来する魚で、卵を産む場所は赤道の北を流れる海流のあたりと考えられている。気性が荒く、顔の前に手を出すとかじられることもあるという[13]。日本の淡水にすむ魚としては、大型の部類に入る。

いつごろから池田湖に住んでいるのかは定かではないが,昭和25年度の調査では生息が確認されている。

入ってきた道すじについても、市の考古博物館の資料は一つの説を挙げつつ、断定はしていない。

オオウナギは、ニューギニアの北の海で産卵し、幼魚は黒潮にのって日本の近海まできて、川尻川から池田湖へ入り込んだとする説がありますが、はっきりとはわかっていません。

横に長いオオウナギのはく製標本
CC BY-SA 3.0オオウナギのはく製標本(国立科学博物館の展示)。体の横のまだら模様がふつうのウナギとの見分け方の一つ。作者:Momotarou2012。CC BY-SA 3.0。 / Wikimedia Commons

湖畔の観光施設「池田湖パラダイス」では、大水槽のオオウナギを無料で見ることができ、長く名物になっていた。だがこの施設は、経営者の死去などを理由に2025年8月で営業をやめた。飼われていた大ウナギ7匹は、引き取り先を探していると伝えられた[16]。

それでも、目撃談の大きさとは開きがある。1978年の話では、長さ5メートルのコブが2つ、5メートルの間をあけて並んでいた[5]。そのまま足せば、水面に出ていた部分だけで15メートルにもなる。確認されているいちばん大きなオオウナギの、8倍以上の長さだ。オオウナギが群れで泳いだ、あるいは何匹かが重なって見えた、と考えることはできる。だが、それを確かめた観察記録はない。

オオウナギの大きさについて 資料によって数字が少しずつ違う。最大で体長1.8メートル・体重20キロほど(鹿児島県・指宿市の資料)が共通する一方、胴回りを「50センチ」とするもの[1]と、胸回り「60センチ」とするもの[10]がある。「2メートルに達する」と書く資料もあるが、公的な資料では確かめられなかった。

06正体の説を一つずつ確かめる

イッシーの正体として語られてきた説を、ここまでの資料に照らして並べてみる。観光庁データベースの解説文も、この問いを読者に投げかけている。

Is the mysterious Isshi, whose name resembles Scotland’s Nessie (pronounced “Nesshi” in Japanese), a dinosaur that somehow survived extinction? Or is Isshi nothing more than a particularly large giant eel or fish?

スコットランドのネッシーに名前が似た謎のイッシーは、絶滅を逃れた恐竜なのか。それとも、とりわけ大きなウナギや魚にすぎないのか。

東スポWEBの記事も、池田湖はカルデラ湖で「巨大水棲獣にとっては食料が豊富とは言いがたい」と書いたうえで、大ウナギの生息は確認されていると指摘している[6]。何メートルもある動物が何十年も生き続けるには、それを支えるだけの餌と、親から子へ命をつなぐ数の群れが要る。

説根拠評価
首長竜など、絶滅した爬虫類の生き残り池田湖ができたのは約6,400年前の噴火のあと。それより前、ここに湖はなかった[9]。恐竜の時代から生き延びる場所がない否定的
巨大化したオオウナギオオウナギは実在し、市の天然記念物[12]。ただ確認された最大は1.8メートルほどで[15]、5〜20メートルの目撃とは合わない。ウナギは横にくねって泳ぐが、その動きの報告はないとする指摘もある[5]確かめられず
波・航跡や、複数の生き物の見誤り地元の年表自身が「イルカの群れだった可能性」「イルカの親子に似ていた」と書く[2]。ただし何を見誤ったのかを確かめた記録はない確かめられず
写真や映像が存在の証拠になる1978年の写真は分析しても細部が見分けられなかった[5]。1991年の映像も、黒いコブが動くところまで否定的
報道や懸賞が目撃報告を増やした1978年の対策委員会と懸賞[2]、1991年の放映後に届け出が1日10〜20件に増えた[5]有力

最後の説は、「目撃者がうそをついた」という意味ではない。湖面をじっと見る人が急に増えれば、ふだんなら気にとめない波や水鳥、魚の跳ねも「何か」として届けられる。テレビで映像を見た人は、似た形を探しながら湖を見る。目撃の数は、湖の中の生き物だけでなく、湖を見る人の数と気持ちにも左右される。

一方で、すべての目撃がそれで説明できるわけでもない。1978年9月3日に20人前後が同時に何かを見たこと自体は、どの資料も一致している。それが何だったのかを決める物証は、残っていない。

07イッシーが町に残したもの

目撃が途絶えて20年近くになる。それでも、湖畔には今も首長竜のような形のイッシー像が立ち、指宿市には「イッシーバス」と呼ばれるコミュニティバスが走っている[5]。鹿児島県の観光サイトも、池田湖を「謎の生物『イッシー』が棲むといわれる神秘的な湖」と紹介している[10]。

振り返ると、イッシーの歴史は、町が怪物とどう付き合ってきたかの歴史でもある。1978年、観光協会は目撃から1か月もたたずに委員会をつくり、カメラを置き、賞金を懸けた。1991年には、いかだで湖を見張り、2万人を超える人が集まる催しを開いた。その一方で、同じ町の公式の年表は「イルカの群れだったかもしれない」と書き残している。信じる楽しさと、冷静な目。その両方が、この湖の記録には同居している。

イッシーの話を「なかったこと」にする必要はない。1978年の夏、湖畔の人たちは確かに何かを見て驚き、その驚きが町を動かした。ただ、48年の記録をたどっても、未知の大きな生き物がいることを示す物証は一つも残っていない。残っているのは、目撃の話と、ぼやけた写真と映像、そして町がつくった年表だ。

そして、いちばん確かな「池田湖の大物」は、1969年から市が守ってきたオオウナギだ。湖の解説文は、こんな一文で結ばれている。イッシーが見つからなくても、巨大なウナギの姿を見られるかもしれない、と[1]。

出典・参考資料

  1. 観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」R1-02897「池田湖とは、イッシーとは」(霧島錦江湾地域協議会, 2019年度作成, 看板用). https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-02897.html(閲覧 2026-10-04)↩
  2. 観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」R1-02900「イッシー目撃情報年表」(霧島錦江湾地域協議会, 2019年度作成). https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-02900.html(閲覧 2026-10-04)↩
  3. 観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」R1-02899「漫画家集団が訪れた」(霧島錦江湾地域協議会, 2019年度作成). https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-02899.html(閲覧 2026-10-04)↩
  4. 観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」R1-02898「イッシー・クッシー世紀の出会い」(霧島錦江湾地域協議会, 2019年度作成). https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-02898.html(閲覧 2026-10-04)↩
  5. 羽仁礼「正体は巨大オオウナギか、未知の水棲生物か? 池田湖の怪獣『イッシー』の基礎知識」webムー, 2024年9月23日(参考資料:並木伸一郎『未確認動物UMA大全』学研). https://web-mu.jp/paranormal/45980/(閲覧 2026-10-04)↩
  6. 山口敏太郎「池田湖の『イッシー』多くの目撃情報を検証【UMA図鑑#19】」東スポWEB, 2013年10月11日. https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/88680(閲覧 2026-10-04)↩
  7. 指宿市考古博物館 時遊館COCCOはしむれ「指宿まるごと博物館:池田湖〜神秘の湖〜」. https://www.city.ibusuki.lg.jp/marugoto/area/ikedako/(閲覧 2026-10-04)↩
  8. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター「池田火山 - 概要 -」(川辺禎久・阪口圭一 2005『開聞岳地域の地質』にもとづく). https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/ikeda/index.html(閲覧 2026-10-04)↩
  9. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター「大規模噴火データベース:池田カルデラ」. https://gbank.gsj.jp/volcano/ledb/go.php?volc=Ikeda(閲覧 2026-10-04)↩
  10. 鹿児島県観光連盟「池田湖」【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅. https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10670(閲覧 2026-10-04)↩
  11. 鹿児島県「池田湖水質環境管理計画」(2021年3月)第VI部 資料編(池田湖の概要及び水質等調査結果). http://www.pref.kagoshima.jp/ad05/kurashi-kankyo/kankyo/suishitu/keikaku/ikedakokanri.html(閲覧 2026-10-04)↩
  12. 指宿市 生涯学習課「文化財・史跡:指宿市の指定文化財一覧」. https://www.city.ibusuki.lg.jp/main/kyoiku/bunka/bunkazai/page002705.html(閲覧 2026-10-04)↩
  13. 指宿市考古博物館 時遊館COCCOはしむれ「指宿まるごと博物館:池田湖オオウナギ群棲地」. https://www.city.ibusuki.lg.jp/marugoto/spot/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%B9%96%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE%E7%BE%A4%E6%A3%B2%E5%9C%B0/(閲覧 2026-10-04)↩
  14. 指宿市考古博物館「いぶすきふるさとマップ 01 池田湖オオウナギ群棲地」. https://www.city.ibusuki.lg.jp/cocco/furusatomap/assets/01/index.html(閲覧 2026-10-04)↩
  15. 鹿児島県「鹿児島がいちばん:日本一の大うなぎ」. http://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/itiban/shizen/unagi.html(閲覧 2026-10-04)↩
  16. ニッポン旅マガジン「イッシー巨像と大ウナギの『池田湖パラダイス』が廃業!」2025年9月5日. https://tabi-mag.jp/ikedako-paradise/(閲覧 2026-10-04)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。