口裂け女の半年間
ネット以前に日本中を走った噂
マスクの女が「私、きれい?」と聞く。外したマスクの下で、口は耳まで裂けている。1979年の春から夏、この話は日本中の子どもを震え上がらせた。始まりは岐阜の小さな噂で、テレビもネットも介さずに半年で全国へ届いた。ネット怪談の「祖先」と言ってよいこの噂を、当時の新聞・雑誌の記録と研究者の分析から読み直す。

この記事の要点
- 噂は1978年12月ごろ岐阜県で始まった。最初の報道は1979年1月26日の岐阜日日新聞のコラム。最初の場所は八百津町とも本巣郡真正町ともいわれ、資料で分かれる
- 春から週刊誌が次々に取り上げ、6月には秋田の新聞も「デマ列島駆けめぐる」と報じた。パトカーの出動や集団下校まで起き、夏休みに入ると急に静まった
- 江戸時代にも「口が耳まで裂けた女」の怪談はあるが、1978年の噂とつながる証拠は見つからない。研究者は口裂け女を1970年代に生まれた話とみる
- 2004年には韓国で「赤いマスク」として小学生の間に広まった。地元紙は「日本発のインターネット学校怪談」と書いている
011978年の冬、岐阜で始まった
話の形は、ほとんどの人が知っている。大きなマスクをした若い女が、学校帰りの子どもに「私、きれい?」と聞く。「きれい」と答えると、女はマスクを外して「これでも?」と言う。口は耳まで裂けている[1]。答え方によっては、刃物で切られるともいう[3]。
この記事では、話そのものを語り直すことはしない。知りたいのは、この噂が「いつ、どこで、どう広がったか」だ。口裂け女は、インターネットが生まれる前に、口伝えだけで日本中に届いた噂だった。のちのネット怪談と比べるための、いわば「祖先」にあたる。
口承文芸(口伝えの話)を研究する国学院大学の飯倉義之さんは、この噂をこう位置づけている[1]。
「『口裂け女』 は恐らく純国産『都市伝説』の第1号でしょう」
飯倉さんによると、噂が広がり始めたのは1978年の暮れごろ。岐阜県の八百津町(やおつちょう)で、農家のおばあさんが、庭の隅に口が耳まで裂けた女が立っているのを見た、という話だった。ただし飯倉さん自身が「諸説あり」と断っている[1]。
別の場所を挙げる記録もある。1979年6月29日号の『週刊朝日』は、1978年12月初めに岐阜県本巣郡真正町(しんせいちょう、今の本巣市)で、農家のおばあさんが母屋から離れたトイレに立ったとき、口裂け女を見て腰を抜かした、という噂を紹介した[3]。どちらも「岐阜の農家のおばあさん」の話で、場所だけが違う。

噂が初めて新聞に載ったのは、1979年1月26日の岐阜日日新聞(今の岐阜新聞)だとされる。1面のコラム「編集余記」で、書いたのは論説委員の村瀬睦さん。岐阜の子どもたちの噂では、女は「ある女優似の美人」だったという[3]。コラムは、噂の出どころをこう推し量っている[2]。
「寒空に塾通いを強いられた子供が被害者意識のこうじるあまり創造した現代のお化けかもしれない」
最初の報道から、すでに「塾通い」が結び付けられていたことは覚えておきたい。あとで見るように、この見方は研究者の議論でも長く続く。
1979年より前にもあった?
口裂け女の始まりは1979年の大流行、と考えられがちだ。しかし怪談研究家の吉田悠軌さんは、資料を調べた結果、少なくとも1970年代半ばから後半には、噂がすでに全国に広まっていたとみている。しかも、早い時期の話は今とかなり違う[2]。
吉田さんによると、「口裂け女」の噂がメディアで取り上げられた最も古い記録では、「裂けた口のメイクをして人を脅かす女性が出没するから気をつけるように」というオチがあったという。
つまり、最初の口裂け女は「ただの人間」だった。化け物ではなく、口が裂けたように化粧をして人を脅かす、気味の悪い不審者の話だったことになる[2]。
02半年で日本列島を駆けた
噂は春になると全国の週刊誌に載り始める。『週刊朝日』1979年3月23日号、『週刊新潮』4月5日号が取り上げた[4]。6月29日号の『週刊朝日』は、全国の小中学生を怖がらせる「風説」として大きな記事を組んだ[3]。女性週刊誌も7月にかけて続いた[3]。
地方紙も書いた。6月15日の秋田魁新報夕刊には、こんな見出しが載っている[6]。
- 「現代の怪談口裂け女」
- 「デマ列島駆けめぐる」
- 「子供の登校拒否騒ぎも」
岐阜から遠く離れた秋田で、噂が「列島を駆けめぐる」ものとして報じられたことになる。飯倉さんも、噂は半年ほどで岐阜から青森、鹿児島まで伝わったと話す[1]。
なぜ学区を越えたのか
テレビもネットもない子どもの噂が、なぜこれほど速く広がったのか。飯倉さんは「塾」を挙げる[1]。
「その背景にあるのは、当時塾通いをする子どもが増えたことです。それまでは学区を越えてうわさが広がることはあまりなかった。」
塾には、いくつもの学区から子どもが集まる。「うちの学校でこんなことがあった」と話せば、聞いた子は自分の学校でまた話す。親戚どうしの電話でも伝わり、やがて新聞やテレビも報じるようになった、と飯倉さんは説明する[1]。人のつながりが網の目になり、その上を噂が走ったわけだ。
大人たちの対応
噂は、大人も巻き込んだ。福島県郡山市と神奈川県平塚市ではパトカーが出動する騒ぎになり、北海道釧路市と埼玉県新座市では集団下校が行われたという[3]。1979年6月21日には、兵庫県姫路市で25歳の女性がいたずらで口裂け女の格好をし、包丁を持ってうろついたとして、銃刀法違反の疑いで逮捕された[3]。

騒ぎは、始まりと同じくらい急に終わった[1]。
「最初のうちは教師や親も心配して、パトロールや集団下校を実施したようです。79年の夏休みが始まるころには、うわさは沈静化しました。」
夏休みに入って、子どもどうしの口コミが途切れたためだと説明されている[3]。噂を運んでいたのが学校と塾だったことを、終わり方が裏づけている。
その9月、毎日新聞社の教育雑誌『月刊教育の森』は特集を組んだ。田原総一朗さんらの記事の題は「なぜ風説“口裂け女”が走ったか――楽しんだ子どもたち、抑えた大人たち」[7]。同じ号には、深作光貞さんの「常に消えない日本人のアミニズム」も載った[8]。噂が終わるとすぐに、大人たちは「なぜ」を考え始めていた。
03増えていく「設定」と「対処法」
噂が広がるにつれ、口裂け女にはいろいろな特徴が付け加えられた。マスクをしている、赤いコートを着ている、鎌を持っている、100メートルを6秒で走る、ポマードが嫌い、べっこう飴をあげると見逃してくれる、などだ[1]。
吉田さんは、この変化に一つの流れを見ている。1979年の大流行より前の口裂け女は、裂けた口を見せて脅すだけで、刃物で傷つける話は珍しかった。ところが79年ごろから、子どもの口を自分と同じように裂こうとする「攻撃型」が定番になる。埼玉県川越市では79年春ごろ、脅すだけの「口裂け女」と区別して、攻撃型を「口裂き女」と呼んでいたという[2]。
大流行のあとには、トレンチコートにパンタロン、赤いスポーツカーといった流行りの品も加わり、ついには超人のような足の速さまで付いた[2]。「ただの人間」の不審者が、少しずつ怪物へ変わっていった過程が、名前の揺れにも残っている。

「対処法」の多さも、この噂の特徴だ。ポマードと3回唱える、べっこう飴を渡す、手のひらに「犬」と書いて見せる、「ふつう」とあいまいに答える、など。地方ごとにも違いがあり、関東では逆にべっこう飴が嫌いだという話もあった[3]。
こうした対処法は、騒ぎが終わったあとも残った。1999年に発表された、栃木県宇都宮市の高校生から集めた話にも「十字路で出会う」「ポマードと3回言うと消える」「べっこう飴をあげると喜ぶ」という形で出てくる[9]。20年たっても、骨組みはほとんど変わっていない。

派生した仲間もいた。頭の上にもう一つ口がある「二口女」、愛媛や徳島の「口割れ女」などだ。二口女という名は江戸時代の『絵本百物語』にも出てくるが、噂の二口女はそれとは関係がなく、あくまで口裂け女の変わり種だとされる[3]。
04江戸時代の口裂け女は先祖か
「口裂け女は江戸時代からいた」という話も、よく聞く。英語版Wikipediaは、二つの見方を並べている[4]。
Author and folklorist Matthew Meyer has described the Kuchisake-onna legend as having roots dating back to Japan's Edo period, which spanned from the 17th to 19th centuries
作家で民俗研究家のマシュー・マイヤーは、口裂け女の伝説のルーツを、17世紀から19世紀にあたる日本の江戸時代にさかのぼるものとしている。
これに対し、同じ項目は、飯倉さんが1970年代の話とみていることを続けて書く[4]。では、江戸時代の「口裂け女」とはどんな話なのか。日本語版Wikipediaは二つを挙げる[3]。
江戸時代の怪談集『怪談老の杖』には、江戸近郊に狐が化けた「口裂け女」が現れた、との話がある。
話の舞台は大窪百人町(今の東京都新宿区)。雨の中、傘をさして歩いていた十代の若者が、ずぶ濡れの女に傘を差し掛けると、振り向いた女の口は耳まで裂けていた。若者は腰を抜かし、やがて亡くなったという。もう一つは、1801年の『絵本小夜時雨(えほんさよしぐれ)』の話で、吉原の廊下で客がたわむれに引き止めた太夫(たゆう)が、振り向くと口が耳まで裂けていた、というものだ[3]。

「口が耳まで裂けた女」という姿が、江戸時代の怪談にあったことは確かだ。ただ、これらは狐が化けたり、遊女が正体を現したりする話で、マスクも「私、きれい?」という問いかけもない。江戸の話が明治・大正・昭和へと語り継がれ、1978年の岐阜に現れたことを示す資料は、今回見つからなかった。吉田さんの言うように、最も古い記録の口裂け女が「化粧をした人間」だったなら、江戸の妖怪から直接つながったと考えるのはなおさら難しい[2]。
そのほかの「元ネタ」説
起源の説はほかにもある。1754年の郡上一揆で処罰された農民の怨念が妖怪伝説になったという説。明治時代、滋賀県の信楽で、恋人に会うため白装束に三日月形の人参をくわえて峠を越えた女性がいたという説。江戸時代に、妻の不貞に怒った武士が妻の口を裂いたという、主に海外で語られる説。CIAが噂の広がり方を調べるために流した、という説まである[3]。
Wikipediaが挙げる出典は、いずれも2000年代の一般向けの本や、2010年代の海外の記事だ[3]。1979年当時の噂の中にこうした由来が語られていたことを示す資料は、今回見た範囲では見つからなかった。口裂け女のように有名になった話には、あとから「本当の由来」が付け足されやすい。由来の話そのものが、噂の続きだと考えたほうがよさそうだ。
| 説 | 根拠 | 評価 |
|---|---|---|
| 岐阜県が発祥 | 最初の報道は岐阜日日新聞。中京地方、とくに岐阜が発祥という点で資料がほぼ一致する[1][3] | 有力 |
| 江戸時代の怪談が直接の元 | 口が裂けた女の怪談は江戸にもある[3]。ただ1978年の噂へつながる証拠がない | 確かめられず |
| 不貞の妻を斬った武士の怨霊 | 主に海外の後年の記事に出てくる説で、今回見た当時の資料には見当たらない[3][4] | 否定的 |
| 郡上一揆の怨念・信楽の女性 | 一般向けの本の説で、裏付けとなる記録がない[3] | 確かめられず |
| 不審者への不安が形になった | 最古の記録では化粧をした人間の話だった[2]。夜の街で見た大人への不安が投影されたと研究者もみる[1] | 有力 |
| CIAが流した実験 | 根拠となる資料が一つもない[3] | 否定的 |
05研究者はどう読んだか
噂が日本中を走ったことで、研究者たちもこの話に注目した。民俗学者の野村純一さん(国学院大学)は、いち早く口裂け女を民俗学と口承文芸の立場から研究し、日本の怪談研究・都市伝説研究の先駆けになったとされる[5]。2005年には『江戸東京の噂話――「こんな晩」から「口裂け女」まで』という本も出している[5]。
「口裂け女はお母さん」説
早くから人気を集めた解釈が「口裂け女=母親」説だ。吉田さんによると、1979年6月29日号の『週刊朝日』の時点で、心理学者の秋山さと子さんが「『口裂け女』、それはお母さんのことですよ」とコメントしていた。民俗学者の宮田登さんも、勉強しろと責め立てられる受験社会のイメージが口裂け女の姿をとった、という「教育ママ」説を支持した[2]。最初の新聞コラムが「塾通い」と結び付けたのも、同じ流れにある。
この解釈には、のちに強い批判が出た。社会心理学者の木下冨雄さんは、子どもたちにとって口裂け女は「見たし怖し」という恰好の遊びの対象だったとし、母親説をはっきり否定した[2]。
「優れた民俗学者や精神分析学者が、なぜこのような誤りを犯したか。それは、彼らがおとなの物差しで、子どもたちの心理を読もうとしたからである」
吉田さんも、母親を投影しすぎる見方は当を得ていないと書く。塾通いが原因だとする説も「いずれも根拠は薄い」という[2]。
「マスコミに気づかれた」噂
吉田さんは、1979年の大流行がそれ以前と何が違ったのかを、こうまとめている[2]。
79年「大流行」とそれ以前との決定的な違いは、口裂け女が「マスコミに気づかれた」ことである。
マスコミは噂を否定しながらも話題に乗り、口裂け女をキャラクターとして面白がった。全国の噂だと報じられれば、「自分の町で本当に起きた事件」という生々しさは失われる。年上の子どもたちにとって、口裂け女は笑いの対象に変わっていった、と吉田さんはみる[2]。
夜の街と見知らぬ大人
飯倉さんは、子どもたちにとって口裂け女は「不審者情報」だったと考える。塾は夕方から始まり、終わると子どもたちは集団で夜の街に出る。そこで、これから夜の仕事に向かう女性や、ひどく酔った人など、それまで見たことのない大人たちに出会った。その中に自分を傷つける人がいるかもしれない、という不安が口裂け女に投影された、という見方だ[1]。
吉田さんが掘り起こした「化粧をした人間」の段階の話とも、この見方はよく合う。口裂け女は、まず「気をつけるべき大人」の話として生まれ、全国に広がる途中で怪物になった、と考えると筋が通る。
06海を渡った「赤いマスク」
口裂け女は、日本の外にも広がった。2004年5月24日、韓国・大邱(テグ)の地方紙、嶺南日報は1面でこう伝えている[10]。
[구미] 최근 구미시내 초등학생들 사이에 일본발 인터넷 학교괴담인 '빨간 마스크' 이야기가 급속도로 퍼지고 있다.
[亀尾(クミ)]最近、亀尾市内の小学生の間で、日本発のインターネットの学校怪談「赤いマスク」の話が急速に広まっている。
記事によると、赤いマスクは白いレインコートに大きなマスク、長い黒髪の女の幽霊で、夜に現れて「私、きれい?」と聞く。10歳の小学生は「背が4メートルあって、100メートルを2秒で走る」と話し、夜7時から朝6時までは怖くて外に出られない友だちもいるという。シナモン飴や韓国の飴(ヨッ)を持ち歩く、手の甲に「犬」の字を書く、「ポマード」と3回以上叫ぶ、といった対処法も伝わっていた[10]。25年前の日本とそっくりだ。

学校や塾の対応も、1979年の日本を思わせる。
일부 교사들은 학생들에게 빨간 마스크와 관련 "모두 꾸며낸 이야기니 겁내거나 걱정하지 말라"고 학생들을 안심시키고 있다.
一部の教師たちは赤いマスクについて「全部作り話だから、怖がったり心配したりしないように」と生徒たちを安心させている。
大きく違うのは、伝わり方だ。記事は、一部のインターネットサイトに赤いマスクの話が載り、コメントを書き込む子どもが増えていると書いている[10]。1979年の日本では塾と電話が運んだ噂を、2004年の韓国ではネットが運んでいた。
韓国の週刊誌、週刊京郷は2009年に、赤いマスクの話が広まったのは2004年ごろで、主に小学生の間だったと書いた。子どもの口コミに乗って何冊もの本が出て、いったん静まった噂は2006年に再び広がった。韓国では、赤いマスクの恋人の「青いマスク」や、「黄色いマスク」まで現れたという[11]。
韓国で形が変わった理由について、飯倉さんは興味深い説明をしている[1]。
「沖縄、台湾、韓国、中国などでは魔物は直進しかできないという伝承があるので、韓国では口裂け女は角を曲がれなくなったし、階段も上れなくなった。」
噂は国境を越えると、その土地の言い伝えに合わせて少しずつ作り替えられる。韓国の日曜新聞は2020年、赤いマスクの噂は2004年に韓国で再び流行し、中国や台湾にも広がったと書いた[12]。
07ネット怪談の「祖先」として
飯倉さんは、口裂け女から始まった日本の都市伝説を、大きく二つのブームに分けている。1980年代末から90年代初めの第1次ブームは、子どもたちの噂を雑誌やテレビが拾って盛り上がった。2000年代からの第2次ブームは、ブログや「2ちゃんねる」など、ネットが主導した[1]。
その代表が、2004年に2ちゃんねるへの投稿から生まれた「きさらぎ駅」だ。相談の形で書き込まれた投稿に、次々と返事がつけられて話が育っていった。飯倉さんは、口伝えの噂は毎回記憶で話すので大筋は変わらないのに対し、ネットの話はそのままコピーされるか、大きく作り替えられるかの両極端になると指摘する[1]。
こうして並べると、口裂け女とネット怪談の違いと共通点が見えてくる。
- 運んだもの:口裂け女は塾・学校・電話という人のつながり。ネット怪談は掲示板とSNS
- 速さ:口裂け女は岐阜から全国まで約半年。ネットでは物理的な距離が関係なくなった[1]
- 変わり方:口裂け女は語られるたびに少しずつ設定が増えた。ネットでは「そのまま」か「大きく改変」か
- 共通点:どちらも、聞いた人が「対処法」や続きを付け足していく参加型の話だった
2004年の韓国の例は、ちょうど二つの時代の境目にあたる。日本でかつて口伝えで広まった噂が、インターネットの「学校怪談」として海を渡り、そこでまた子どもたちの口伝えに乗った[10]。
発祥の地の町おこし
口裂け女は、発祥の地とされる岐阜で、町の顔にもなった。岐阜市の柳ケ瀬商店街では2012年の夏、口裂け女をテーマにしたお化け屋敷「恐怖の細道」が始まった[1]。考えたのは、1978年の終わりに中学2年生として騒動を体験した地元の経営者、吉村輝昭さんだ。客足が遠のいた商店街ににぎわいを取り戻すため、「岐阜発祥の口裂け女」を前面に出した[13]。お化け屋敷は2019年9月に幕を閉じている[1]。
資料をたどると、口裂け女の正体は一人の女ではなく、噂を運んだ人のつながりそのものだったことが分かる。塾帰りの夜道で子どもたちが感じた不安。それを面白がり、解釈したがった大人とマスコミ。対処法を付け足し続けた子どもたち。そして25年後、同じ話をネットで受け取った韓国の小学生。インターネットがまだない時代に、口伝えだけでこれだけのことが起きた。のちのネット怪談の多くは、この噂が通った道を、もっと速い乗り物で走っているにすぎないのかもしれない。
出典・参考資料
- 飯倉義之(談)「『口裂け女』から『きさらぎ駅』まで―都市伝説の変容から振り返る昭和・平成の日本社会」nippon.com, 2019年12月27日. https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00789/(閲覧 2026-10-05)↩
- 吉田悠軌「『わたしキレイ?』“口裂け女”の噂は、子供の進学塾通いが原因なのか『口裂け女=母親説』を支持した人々の深層心理」文春オンライン, 2022年5月15日(『現代怪談考』晶文社, 2022年 より抜粋。全4ページ). https://bunshun.jp/articles/-/53564(閲覧 2026-10-05)↩
- 日本語版Wikipedia「口裂け女」(2026年9月21日版). 当時の報道は平泉悦郎「全国の小中学生を恐れさせる『口裂け女』風説の奇々怪々」『週刊朝日』1979年6月29日号ほか、江戸時代の話は柴田宵曲編『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫)、近藤瑞木編『百鬼繚乱』(国書刊行会)を出典としている. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%A3%82%E3%81%91%E5%A5%B3(閲覧 2026-10-05)↩
- English Wikipedia "Kuchisake-onna"(2026年10月5日閲覧). https://en.wikipedia.org/wiki/Kuchisake-onna(閲覧 2026-10-05)↩
- 日本語版Wikipedia「野村純一」(2026年10月5日閲覧). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%B4%94%E4%B8%80(閲覧 2026-10-05)↩
- 「現代の怪談口裂け女 デマ列島駆けめぐる 子供の登校拒否騒ぎも」秋田魁新報, 1979年6月15日夕刊7面(国立国会図書館サーチ「秋田魁新報記事見出し検索」の書誌による). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000094-I984964(閲覧 2026-10-05)↩
- 田原総一朗 他「なぜ風説“口裂け女”が走ったか――楽しんだ子どもたち、抑えた大人たち」『月刊教育の森』4巻9号, 毎日新聞社, 1979年9月, 32-45頁(国立国会図書館サーチの書誌による). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I2019403(閲覧 2026-10-05)↩
- 深作光貞「常に消えない日本人のアミニズム――“口裂け女”が駆け回った裏で」『月刊教育の森』4巻9号, 毎日新聞社, 1979年9月, 24-31頁(国立国会図書館サーチの書誌による). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I2019402(閲覧 2026-10-05)↩
- 国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」カード0970138「口裂け女,べっこう飴」(出典:久野俊彦「高校生が知っている不思議な話」『下野民俗』39号, 1999年). https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/youkai_card.cgi?ID=0970138(閲覧 2026-10-05)↩
- 「『빨간 마스크』괴담 믿지마세요(『赤いマスク』の怪談を信じないで)」영남일보(嶺南日報), 2004年5月24日, 1面. https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20040524.010241112490001(閲覧 2026-10-05)↩
- 「[특집]『괴담』은 돌고 돈다(特集:怪談はめぐる)」주간경향(週刊京郷), 2009年8月6日(Daumニュース掲載). https://v.daum.net/v/M0LzvulcJD(閲覧 2026-10-05)↩
- 「여름이면 생각나는 괴담『빨간 마스크』의 유래는?(夏になると思い出す怪談『赤いマスク』の由来は?)」일요신문(日曜新聞)第1469号, 2020年7月2日. https://www.ilyo.co.kr/?ac=article_view&entry_id=373755(閲覧 2026-10-05)↩
- 加納由希絵「『口裂け女』を岐阜のアイドルにした、地元経営者の“本気”」ITmedia ビジネスオンライン, 2018年1月9日. https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1801/09/news015.html(閲覧 2026-10-05)↩
この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。