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ロズウェル事件を公文書で読む
「円盤回収」の発表から議会公聴会まで

1947年7月8日、ニューメキシコ州の陸軍飛行場が「空飛ぶ円盤を回収した」と発表した。翌日、上の司令部は「気象観測用の気球だった」と訂正する。話はそこで一度終わった。ところが30年後に掘り起こされ、墜落した円盤と異星人の遺体の物語になる。何が拾われ、話はどう育ったのか。米政府が公開した資料を中心に、肯定する側の言い分も含めて読み直す。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月4日約15分で読めます出典 8件
1947年7月8日のロズウェル・デイリー・レコード1面。「RAAF Captures Flying Saucer On Ranch in Roswell Region」の見出し
PD1947年7月8日付ロズウェル・デイリー・レコードの1面上部。見出しは「陸軍飛行場、ロズウェル地方の牧場で空飛ぶ円盤を捕獲」。Wikimedia Commons ではパブリックドメインとして扱われている。 / Wikimedia Commons

この記事の要点

  • 1947年7月8日、ロズウェル陸軍飛行場が「空飛ぶ円盤」の回収を発表。翌日、第8航空軍は気象観測気球だったと訂正した
  • 話は一度忘れられ、1978年以降に「墜落した宇宙船」として再燃した。異星人の遺体の話が加わったのは、さらに後のこと
  • 米空軍は1994年、残骸は当時極秘だった気球計画「モーグル」のものだった可能性が最も高いと報告。1997年には「遺体」は1950年代の実験用ダミー人形などの記憶が混ざったものだと結論した
  • GAO(会計検査院)の調査では、基地の発信電報などの記録が廃棄されていた。誰がいつ廃棄したかは分からない
  • 2023年の議会公聴会で「回収計画がある」との証言が出たが、国防総省のAAROは2024年、裏づける証拠は見つからなかったと報告した

011947年7月8日:「円盤を回収」、そして翌日の訂正

話の始まりは、ニューメキシコ州の牧場だ。牧場の管理人W・W・ブレイゼルは、1947年6月14日、息子と一緒に、光る残骸が散らばった場所を見つけた。当時の地元紙によれば、残骸はゴムの切れ端、アルミ箔、かなり丈夫な紙、細い棒でできていた[3]。

1947年の夏は、空飛ぶ円盤の話題が一気に広がった時期だった。空軍の1994年報告によれば、5月17日から7月12日までに少なくとも16件の目撃が報告されていた。800件にのぼったと数える研究家もいる[3]。ロズウェルの出来事は、この騒ぎのただ中で起きた。

ちょうどその頃、アメリカでは「空飛ぶ円盤」の目撃がニュースになっていた。ブレイゼルは7月7日にロズウェルの町へ行き、保安官に話した。連絡を受けたのが、ロズウェル陸軍飛行場(RAAF)の第509爆撃群の情報将校、ジェシー・マーセル少佐だった。マーセルらは牧場へ行き、残りの破片を集めた[3]。

翌7月8日、飛行場の広報室は「空飛ぶ円盤」を回収したと発表した。地元紙ロズウェル・デイリー・レコードは、その日の1面に「陸軍飛行場、牧場で空飛ぶ円盤を捕獲」と大きく載せた[1]。

ところが翌日には話が変わる。テキサス州フォートワースの第8航空軍司令官ロジャー・レイミー准将が、回収されたのは気象観測用の気球だったと発表した。新聞は残骸を「アルミ箔、折れた木の棒、気球のゴムの残り」の束と書いた[3]。

床に広げた残骸を前にしゃがむレイミー准将とデュボース大佐
PD1947年7月8日、フォートワース陸軍飛行場。電報を手にしたレイミー准将(左)とデュボース大佐が、ロズウェルから運ばれた残骸を見ている。撮影:Fort Worth Star-Telegram(テキサス大学アーリントン校図書館所蔵)。Wikimedia Commons ではパブリックドメインとして扱われている。 / Wikimedia Commons

この時期の公式記録は、驚くほど少ない。のちにGAO(米会計検査院、現在の政府説明責任局)が探して見つけた1947年の政府文書は、2点だけだった。1つは第509爆撃群と飛行場の7月の部隊史だ。広報室は「空飛ぶ円盤」の問い合わせに追われた、と書いたあと、こう続けている[1]。

The object turned out to be a radar tracking balloon.

その物体は、レーダー追跡用の気球だと分かった。

もう1つが、FBIダラス支局が7月8日に本部へ送ったテレタイプ(電信)だ。原本はFBIの公開文書室「Vault」で読める[2]。GAOはその内容をこうまとめた[1]。

an Eighth Air Force headquarters official had telephonically informed the FBI's Dallas office of the recovery near Roswell of a hexagonal-shaped disc suspended from a large balloon by cable.

第8航空軍司令部の担当者が電話でFBIダラス支局に伝えた内容は、ロズウェル近くで、大きな気球からケーブルで吊られた六角形の円盤が回収された、というものだった。

同じテレタイプには、回収物は高高度用の気象観測気球とレーダー反射器に似ている、とも書かれていた。残骸はオハイオ州のライト・フィールドへ送られて調べられる予定だった[1]。「円盤」と「気球」が、同じ1枚の文書の中に並んでいる。

0230年の空白と、1978年からの再燃

訂正のあと、ロズウェルの話は忘れられた。空軍がのちに続けたUFO調査「プロジェクト・ブルーブック」とその前身の記録にも、ロズウェルは出てこない[3]。1994年の空軍報告は、この空白をはっきり書いている。

Research revealed that the "Roswell Incident" was not even considered a UFO event until the 1978-1980 time frame.

調査の結果、「ロズウェル事件」は1978〜1980年ごろまで、UFOの出来事とさえ見なされていなかったことが分かった。

火を付けたのは、残骸を集めた本人だった。1978年、元情報将校のマーセルが「1947年に拾ったのはUFOの残骸だった」と語った記事がタブロイド紙に載った。同じ年、UFO研究家のスタントン・フリードマンがマーセルに会い、調べ始める。1980年には、ウィリアム・ムーアとチャールズ・バーリッツが本『The Roswell Incident』を出した[3]。

床に広げたアルミ箔のような残骸を手に持つマーセル少佐
PD1947年7月8日、フォートワースで残骸を手にするマーセル少佐。30年後、彼の証言が事件を再び動かした。撮影:Fort Worth Star-Telegram(テキサス大学アーリントン校図書館所蔵)。Wikimedia Commons ではパブリックドメインとして扱われている。 / Wikimedia Commons

その後も研究家たちは聞き取りを重ね、証言者は数百人にのぼると言われるようになった。肯定する側の調べは量が多く、熱心だ。空軍の報告も、その調査の深さが主張に一定の重みを与えていると認めている[3]。

一方で、話はふくらんでいった。最初は1か所の小さな範囲で拾った少しの破片だった。それが、飛行機何機分もの残骸、文字のような模様が入った謎の金属、そして2か所目の墜落現場と異星人の遺体の話になった。墜落の場所や日付は、研究家の間でも一致していない[3]。

1990年代に入ると、話はテレビでも広がった。人気番組「アンソルブド・ミステリーズ」が事件の「再現」を放送し、ほかの番組やテレビ映画も続いた[3]。研究家ケヴィン・ランドルとドナルド・シュミットの本も出て、証言者の数はさらに増えた[3]。

証言の確かさを確かめるのは難しい。空軍は、ある本が「国防総省に記録がない」とした元兵士11人の名前を記録センターで調べた。8人の記録はすぐに見つかった。そのうち1人は1951年に亡くなった記録があったのに、本の著者は1990年に「その人」に取材したことになっていた[3]。もちろん、これで証言のすべてが否定されるわけではない。ただ、40年以上たってからの聞き取りには、こうした食い違いがつきまとう。

1994年の報告は、問題の核心をこう書いた。

What is uniquely lacking in the entire exploration and exploitation of the "Roswell Incident" is official positive documentary or physical evidence of any kind that supports the claims of those who allege that something unusual happened.

「ロズウェル事件」をめぐる探求と利用の全体に、ただ一つ欠けているのは、何か異常なことが起きたと主張する人々の言い分を裏づける、公式の文書や物的証拠だ。どんな種類のものもない。

ただし報告は、すぐあとに逆の事情も書き添えている。否定する側も「何も起きなかった」ことを示す文書を出したことはない。役所は起きなかったことを記録しないからだ、という[3]。

031994年:空軍の答えは「モーグル計画」

政府が動いたきっかけは議会だった。ニューメキシコ州選出のスティーブン・シフ下院議員は、国防総省に問い合わせても満足な答えが得られず、GAOに調査を頼んだ。空軍はこれに合わせて、記録の山を洗い直した。証言者には、過去の機密保持の誓約に縛られず話してよいという許可を出したうえで聞き取りをした[3]。

空軍が行き着いたのは、当時「最高機密」だった気球計画だった。名前は「モーグル計画」。高い空に気球を浮かべ、ソ連の核実験の音を遠くから聞き取ろうとする計画だ。ニューヨーク大学のチームが、決まった高さを保つ気球と、レーダーで追うための反射器を作っていた[3]。

空に縦一列に連なる気球と、角ばったレーダー反射器
PDモーグル計画の気球列。いくつもの気球と、角ばったレーダー反射器が縦に連なる。出典:米空軍『The Roswell Report: Fact vs. Fiction in the New Mexico Desert』(1995)。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

レーダー反射器は、アルミを貼った紙をバルサ材の枠に貼り付け、テープで留めたものだった[4]。1947年の新聞でブレイゼルは、残骸にはセロハンテープと「花が印刷されたテープ」が使われていた、と話している[3]。新聞が書いた「アルミ箔、紙、ゴム、テープ、棒」は、この反射器と気球の材料にそのまま重なる。

地上に置かれた3つの角ばったレーダー反射器と作業する人たち
PDモーグル気球の打ち上げ準備(1948年、ホロマン基地)。左の3つが、ブレイゼルが拾ったものと同じ型のレーダー反射器だと報告は説明している。出典:米空軍(1995)。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

計画の技術者だったチャールズ・ムーア教授は、残骸は「フライト4」のものだった可能性が高いと考えた。計画に加わっていた科学者クレアリーの当時の日誌によれば、フライト4は1947年6月4日に打ち上げられ、回収されていなかった。ブレイゼルが残骸を見つけたのは、その10日後だ[3]。マーセルと一緒に現場へ行った防諜部隊のシェリダン・キャビット元中佐も、見たのは軽い棒と金属のように光る素材で、気象観測気球と同じものだと思った、と宣誓証言した[3]。

空軍は、この結論にたどり着いたのが自分たちだけではないことも書いている。ムーア教授のほか、民間の研究者ロバート・トッドは情報公開請求でモーグル計画の資料を何年も前から集めていた。UFO研究団体の側からも、カール・プフロックが同じ見方の報告を出していた[3]。

報告の結論はこうだ。

All available official materials, although they do not directly address Roswell per se, indicate that the most likely source of the wreckage recovered from the Brazel Ranch was from one of the Project Mogul balloon trains.

入手できた公式資料はどれも、ロズウェルそのものを直接扱ってはいない。しかし、それらはすべて、ブレイゼルの牧場で回収された残骸の出どころとして最も可能性が高いのは、モーグル計画の気球列のどれかだということを示している。

この結論には、正直な限定が付いている。「ロズウェルを直接扱った資料はない」という部分だ。空軍は、モーグルの気球もふつうの気象観測気球も、反射器やゴム気球そのものに見た目の違いはなかったので、当時は「気象観測気球」と発表されたのだろう、とも書いている[3]。言いかえると、1947年の訂正は、中身を隠した「小さな嘘」だったことになる。ニューヨーク・タイムズも、この報告で気象気球の説明は「white lie(方便の嘘)」になった、と書いた[5]。

04GAOの記録調査:見つかったもの、消えていたもの

シフ議員の依頼を受けたGAOは、1994年3月から1995年6月まで記録を探した。国立公文書館、軍の記録センター、FBI、CIA、国家安全保障会議など、機密文書も含めて調べている[1]。

結果は、両方の側に材料を残すものだった。1947年7月にニューメキシコ州で陸軍航空軍が報告した航空事故は4件あったが、すべて軍用機の事故で、7月8日より後のことだった。気球の墜落は、当時は報告が必要なかった[1]。CIAは全データベースを「Roswell, New Mexico」で検索したが、該当する文書はなかった[1]。

一方で、記録の穴も見つかった。ロズウェル飛行場の事務記録(1945年3月〜1949年12月)と、基地から外へ送った電報の控え(1946年10月〜1949年12月)が廃棄されていた[1]。

The document disposition form does not indicate what organization or person destroyed the records and when or under what authority the records were destroyed.

廃棄の書類には、どの組織や誰が、いつ、どんな権限で記録を廃棄したのかが書かれていない。

肯定する側にとって、ここは大事な点だ。基地が上の司令部へ何を報告したかを示すはずの電報が、残っていない。ただGAOは、記録センターの主任アーキビストの話として、この時代の空軍の記録は根拠を書かずに廃棄された例が多く、1950年分の発信電報なども同じように処分されていたと書いている[1]。消えていたことは事実だが、ロズウェルの記録だけが狙って消された、と示す材料も見つかっていない。

05異星人の遺体の話はどこから来たか

1994年の報告は、遺体の話にはほとんど触れなかった。1947年の記録に、遺体につながるものが何もなかったからだ。この空白を埋めたのが、1997年6月24日に出た231ページの報告「The Roswell Report: Case Closed(ロズウェル報告:一件落着)」だった[5]。

報告は、遺体の話をした証言者たちの言葉を並べて調べた。ある証言者は「プラスチックの人形かと思った」と話し、別の証言者は「あの中にダミーを使っていた」と話していた[4]。報告がたどり着いた結論の一つがこれだ。

"Aliens" observed in the New Mexico desert were probably anthropomorphic test dummies that were carried aloft by U.S. Air Force high altitude balloons for scientific research.

ニューメキシコの砂漠で見られた「異星人」は、おそらく、科学研究のために米空軍の高高度気球で空へ運ばれた、人の形をした試験用ダミー人形だった。

空軍は1950年5月から、ニューメキシコで人の形をしたダミー人形を使い始めた。高い空から人を脱出させるときの影響を調べるためで、人形は気球から落とされ、砂漠のあちこちに降りた[4]。

1959年には、人を乗せた気球の事故もあった。ダン・フルガム大尉はヘルメットが割れて頭が腫れ上がり、目が細い切れ目のようになった。厳重な付き添いでロズウェルの基地に運ばれ、のちにオハイオ州のライト・パターソン基地へ移された[5]。米国立公文書館は、空軍が行ったフルガム本人への聞き取りの録音を保管している。公文書館のブログは、この事故の話と1947年の話が混ざった可能性があると書いている[6]。

高空の気球ゴンドラから飛び出す、与圧服姿のキッティンジャー大尉
PD1960年8月16日、高度約31,300mの気球ゴンドラから飛び降りるジョセフ・キッティンジャー大尉。1950年代のニューメキシコでは、こうした高高度の気球実験が続いていた。撮影:U.S. Air Force/Volkmar Wentzel。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

基地の病院での「異星人の解剖」の話は、主に一人の証言から来ている。基地と契約していた葬儀社のグレン・デニスだ。報告は、1956年に11人が亡くなったKC-97空中給油機の墜落事故と、1959年の気球事故が混ざったものだろうとみた[4]。デニスの話について、報告はこう書いている。

His undocumented and uncorroborated recollections, reportedly first related in 1989, over 42 years after the alleged Roswell Incident

記録の裏づけも、ほかの人による確認もない彼の回想は、伝えられるところでは1989年、ロズウェル事件とされる出来事から42年以上たって初めて語られたものだ。

そして報告の中心にある考え方が、時間の「圧縮」だ。

Air Force activities which occurred over a period of many years have been consolidated and are now represented to have occurred in two or three days in July 1947.

何年にもわたって行われた空軍の活動が一つにまとめられ、今では1947年7月の2、3日の間に起きたこととして語られている。

この説明には強い反発があった。ダミー人形が使われ始めたのは1950年で、1947年より3年も後だ。報告自身も、遺体の話のもとになった空軍の活動は1947年には起きていない、と認めている[4]。批判する人たちは、別々の出来事を一つの事件として思い出すような記憶違いは起こりにくい、と反論した[5]。フリードマンは報告が出た日、こう語っている。

This is the biggest story of the millennium, a visit to the Earth by extraterrestrial spacecraft and the cover-up of the best evidence, the bodies and the wreckage, for 50 years,

これは千年に一度の大ニュースだ。地球外の宇宙船が地球を訪れ、その最良の証拠である遺体と残骸が50年間隠されてきたのだから。

ただ、肯定する側も、遺体や残骸そのものを示したことはない。どちらの説明が筋が通るかは、証言がいつ、誰から最初に出たかを確かめていくと見えてくる。遺体の話の多くは、事件から40年以上たって初めて語られたものだった[4]。

062023年以降:議会公聴会とUAPへの関心

2020年代、UFOは「UAP(未確認異常現象)」と呼び名を変え、再び議会の話題になった。2023年7月26日、下院監視委員会の小委員会が公聴会を開き、元海軍パイロット2人と、元国家偵察局の情報将校デビッド・グラッシュが証言した[7]。議員の一人は質問の前置きで、1947年のロズウェル事件以来、多くのアメリカ人が空の未知の物体について考えてきたと話した[7]。

証言席に並ぶグレイブス氏、グラッシュ氏、フレイヴァー元中佐
PD2023年7月26日の下院公聴会。左からライアン・グレイブス、デビッド・グラッシュ、デビッド・フレイヴァーの各証人。出典:U.S. House Committee on Oversight and Accountability。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

グラッシュは冒頭の陳述でこう述べた。

I was informed in the course of my official duties of a multi-decade UAP crash retrieval and reverse engineering program

私は職務の中で、何十年にもわたるUAPの墜落物回収と、それを分解して技術を調べる計画について知らされた。

回収物に乗員の遺体があったのかと問われると、グラッシュは「生体」が一緒に回収され、それは「人間ではない」と、計画を直接知る人たちが評価していると答えた。ただ、その根拠となる文書については、機密を扱える部屋でしか話せないと答えている[7]。公開の場で、証拠そのものは示されなかった。

ロズウェルへの関心は、政権の中にもあった。AAROの報告は、クリントン大統領が「1947年にロズウェルで宇宙船が墜落したとは、私の知る限りない。空軍が異星人の遺体を回収していたとしても、私には知らされていない。知りたいものだ」と語ったという報道を紹介している[8]。

国防総省でUAPを調べる部署AARO(全領域異常解決局)は、2024年に、1945年以降の政府の取り組みを振り返る報告の第1巻を出した。報告はロズウェルについて、空軍の2つの報告とGAOの調査をたどり、モーグル計画の気球が初期のUFO話の出どころだと評価している[8]。そして、1945年以降のどの調査も、地球外の存在や乗り物の回収を裏づける確かな情報を見つけていない、と書いた[8]。回収計画があるという主張については、こう述べている。

AARO assesses that the inaccurate claim that the USG is reverse-engineering extraterrestrial technology and is hiding it from Congress is, in large part, the result of circular reporting from a group of individuals who believe this to be the case, despite the lack of any evidence.

米政府が地球外の技術を分析し、それを議会に隠しているという不正確な主張は、大部分が、証拠がまったくないにもかかわらず、そう信じている一部の人々の間で同じ話が回り続けた結果だ、とAAROは評価している。

AAROは、話を信じる人の多くは本心からそう考えている、とも書いている。そのうえで、新しい確かな情報があれば結論を見直すとしている[8]。

07何が分かり、何が残っているか

説根拠評価
残骸は空飛ぶ円盤だった1947年の2つの政府文書はどちらも気球に触れる。当時の新聞の残骸の説明は、ゴム・アルミ箔・紙・棒・テープ[1]否定的
残骸はモーグル計画の気球だった材料と時期は合う。ただし空軍自身、ロズウェルを直接扱った公式資料はないと認める推定だ[3]有力
1947年の「気象観測気球」発表は事実を伏せていた気球の正体が極秘計画だったなら、発表は中身を伏せた説明になる[5]有力
異星人の遺体が回収された1947年の記録に遺体の話はなく、証言の多くは40年以上後に出た[4]否定的
遺体の話はダミー人形や事故の記憶の混同材料はそろうが、年代が合わないという批判がある[5]確かめられず
記録は隠すために廃棄された電報の控えなどの廃棄は事実。誰がなぜ廃棄したかは分からない[1]確かめられず
政府は今も回収した機体を持つ2023年の証言はあるが証拠は公開されず、AAROは裏づけなしとした[8]否定的

公文書から見えるのは、こういう流れだ。1947年、牧場で極秘の気球の残骸が拾われた。基地は「円盤」と発表し、上の司令部は「気象観測気球」と言い換えた。30年後、当事者の証言から話がよみがえり、何十年分もの砂漠の出来事を取り込みながら、異星人の物語へ育っていった。

一方で、すべてが説明し尽くされたわけでもない。基地の発信電報は残っておらず、最初の発表がなぜ「円盤」になったのかを示す記録はない。空軍の答えも、モーグル説は「最も可能性が高い」という推定だ。分からないところが残っているからこそ、この事件は80年近く語られ続けている。

ロズウェルの大通りに建つ国際UFO博物館・研究センターの外観
PDロズウェルの国際UFO博物館・研究センター(1991年設立)。町は今も事件を観光の目玉にしている。撮影:AllenS(2009年)。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons
資料について:1994年の空軍報告は、Lawrence Berkeley National Laboratory のリチャード・ミュラー教授の授業ページに転載された全文で引用を照合した。正式版は書籍『The Roswell Report: Fact vs. Fiction in the New Mexico Desert』(1995)に収められている。報告は内部では1994年7月付だが、公開は同年9月だった[5]。報告本文では、1978年の記事の掲載紙名が「National Inquirer」、ブレイゼルの息子の名が「Vemon」となっている。それぞれ National Enquirer、Vernon の誤記とみられる。1947年7月8日の広報発表の原文は一次の写しを確認できなかったため、引用していない。モーグルの「フライト4」が残骸の出どころだという点は、当時の日誌と関係者の証言にもとづく推定で、飛行記録そのものでは確かめられなかった。マーセルとレイミーの写真は、Commons でパブリックドメインとして扱われている版を使った。同じ一連の写真には、CC BY-SA 4.0 と表示された版もある。

出典・参考資料

  1. U.S. General Accounting Office「Government Records: Results of a Search for Records Concerning the 1947 Crash Near Roswell, New Mexico」GAO/NSIAD-95-187, 1995年7月28日(govinfo の本文版). https://www.govinfo.gov/content/pkg/GAOREPORTS-NSIAD-95-187/html/GAOREPORTS-NSIAD-95-187.htm(閲覧 2026-10-04)↩
  2. Federal Bureau of Investigation「Roswell UFO」FBI Records: The Vault(1947年7月8日付ダラス支局のテレタイプを収録). https://vault.fbi.gov/Roswell%20UFO(閲覧 2026-10-04)↩
  3. Richard L. Weaver(Headquarters USAF)「Report of Air Force Research Regarding the "Roswell Incident"」1994年7月. 書籍版『The Roswell Report: Fact vs. Fiction in the New Mexico Desert』1995年に収録. 本文は Lawrence Berkeley National Laboratory の Richard Muller 教授の授業ページに転載された全文で照合. https://muller.lbl.gov/teaching/physics10/Roswell/RoswellIncident.html(閲覧 2026-10-04)↩
  4. James McAndrew「The Roswell Report: Case Closed」Headquarters United States Air Force, 1997年(Project Gutenberg 版). https://www.gutenberg.org/files/63659/63659-h/63659-h.htm(閲覧 2026-10-04)↩
  5. William J. Broad「Air Force Details a New Theory in U.F.O. Case」The New York Times, 1997年6月25日(Internet Archive の保存版で照合). https://www.nytimes.com/1997/06/25/us/air-force-details-a-new-theory-in-ufo-case.html(閲覧 2026-10-04)↩
  6. The Unwritten Record(National Archives)「The Roswell Reports: What crashed in the desert?」2014年7月7日. https://unwritten-record.blogs.archives.gov/?p=3681(閲覧 2026-10-04)↩
  7. U.S. House, Committee on Oversight and Accountability, Subcommittee on National Security, the Border, and Foreign Affairs「Unidentified Anomalous Phenomena: Implications on National Security, Public Safety, and Government Transparency」2023年7月26日, Serial No. 118-53. https://www.govinfo.gov/content/pkg/CHRG-118hhrg53022/html/CHRG-118hhrg53022.htm(閲覧 2026-10-04)↩
  8. All-domain Anomaly Resolution Office(米国防総省)「Report on the Historical Record of U.S. Government Involvement with Unidentified Anomalous Phenomena (UAP), Volume I」2024年(Wikisource の翻刻). https://en.wikisource.org/wiki/Report_on_the_Historical_Record_of_U.S._Government_Involvement_with_Unidentified_Anomalous_Phenomena/Volume_1(閲覧 2026-10-04)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。