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ネット怪談検証都市伝説

杉沢村伝説を記録する
「地図から消された村」は、どこから来たのか

青森県の山奥に、かつて「杉沢村」という村があった。ある夜、村人の一人が村じゅうの人を殺し、村は地図から消された――。2000年ごろ、日本中に広まった都市伝説だ。この話はいつ、どこで最初に書かれたのか。テレビや雑誌はどう広めたのか。そして、「その場所」とされた土地には実際に何があったのか。残っている記録を順に読んでいく。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月6日約12分で読めます出典 11件
山の上から見下ろした青森市の街並みと陸奥湾
PD八甲田山側から見下ろした青森市の市街地と陸奥湾。杉沢村の舞台とされた場所は、この市街地の南、八甲田山系のすそ野にあると報じられた。写真は伝説の場所そのものではない。作者:Angaurits。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

この記事の要点

  • ネットで確認できるいちばん古い記録は、怪談投稿サイト「怪異・日本の七不思議」の「消えた村」。インターネット・アーカイブには1998年12月3日の時点で載っている。管理人はすでに「津山の30人」の事件を連想していた
  • 全国に広まったのは2000年夏。雑誌の特集と、8月24日放送とされるテレビ番組『奇跡体験!アンビリバボー』の特番がきっかけとされる
  • 2000年9月3日、地元紙の東奥日報が現地を取材した。舞台とされた場所は、過疎で人が去った数軒の小さな集落の跡で、村人が惨殺された事実はなかった。入口の鳥居は元住民の家族が建てたもの、「どくろのような石」は猿田彦神の石だった
  • 1938年の津山事件や、1953年に旧新和村(現・弘前市)で起きた一家の殺害事件が下地になったという説がある。ただし、どちらも「村人全員が殺され、村が地図から消された」出来事ではない

01「消された村」の話:伝説はこう語られた

杉沢村伝説の筋は、短くまとめるとこうなる。昔、青森県の山の中に杉沢村という村があった。ある日、村の若い男が突然おかしくなり、村の人をみな殺して、自分も命を絶った。誰もいなくなった村は、隣の村に組み込まれて廃村になり、地図や役所の記録から消された。それでも廃墟は今も山の中に残っていて、悪いものの棲みかになっている――[4]。

この話には、場所を探す手がかりのような「目印」がいくつも付いている。村へ向かう道に「ここから先へ立ち入る者 命の保証はない」という看板がある。村の入口に古い鳥居があり、その根元にどくろのような形の石がある。奥へ進むと廃屋があり、中には血の跡のようなものが残っている[4]。話を聞いた人が「本当にあるのか確かめたい」と思うように、できている。

2000年に地元紙が、ネット上の話をまとめたときには、さらにいくつかの要素が加わっていた。横溝正史の小説『八つ墓村』の元になった村だという話。夜中に行った若者3人が亡霊に襲われ、行方不明になったという話だ[3]。

この記事では、話の真偽を「あった・なかった」で片づける前に、まず記録を順に追う。この話が書かれた最初の記録はどこにあるのか。どうやって全国に広まったのか。そして、舞台とされた場所には何があったのか。

この記事の書き方について 杉沢村伝説には、実在する土地と、実際に起きた事件の名前がからんでくる。この記事では、記録で確かめられたことだけを書き、確かめられないことは「確かめられなかった」と書く。舞台とされた場所は私有地を含み、2000年の時点で夜中の肝試しが地元の迷惑になっていたと報じられている[3]。そのため、詳しい場所や行き方は書かない。

02いちばん古い記録:1998年の投稿サイト「消えた村」

杉沢村の話は、いつからネットにあったのか。今回たどれた最も古い記録は、「怪異・日本の七不思議」という個人の怪談サイトだ。全国の読者から届いた不思議な話を、都道府県ごとに並べて載せていた。サイトの末尾には「Since 07/15/1997」とある[2]。

インターネット・アーカイブ(ウェブページの保存サービス)には、このサイトの「北海道・東北」のページが1998年12月3日の時点で保存されている。その「青森」の項に、「消えた村」という題の話へのリンクがある。投稿者の名前は「イタコ」。「本当にやばい話」なので載せるかどうかはそちらで判断してほしい、という前置きつきで、メールで届いた話らしい[1]。

注目したいのは、そのリンクの下に添えられた、サイト管理人の短いコメントだ。

『八つ墓村』のモデルになった話(岡山県津山の30人…)のような話です。

杉沢村の話は、ネットに現れたその時から、岡山県で1938年に起きた「津山事件」と並べて読まれていた。後で見るように、「津山事件と混同されて生まれた」という説は、のちに作家や研究者からも出てくる。だが、その連想は1998年の時点ですでに書き込まれていたことになる。

話の本文は、1999年5月3日に保存されたページで読める[2]。中身をごく短く言うと、伝説の骨組みはもうそろっている。青森県の山奥にあった杉沢村で、一人の青年が村人を皆殺しにし、自分も死んだ。場所は「青森空港の近くと聞いた」。集落への道は一本で、入口に鳥居がある。行った人は壁に血がついた家を見た、という。

そして、村が地図から消えた理由について、書き手はこう推測している。

こうして村人の一人もいない、村としては機能しなくなった杉沢村は、おそらく青森市と合併して地図上から消滅したのです。

「おそらく」という言葉に注意したい。地図から消えた、という伝説の柱は、最初は書き手の推測として書かれていた。同じ文章は、自治体が「覆い隠した」のだろうとも書き、知っている人は年配の人がほとんどだとも書く[2]。昔からの言い伝えのような雰囲気をまとわせつつ、根拠は「人から聞いた話」にとどまっている。

投稿の年について 2014年度の学生論文は、この投稿を「1997年」のものとしている[7]。しかし、1997年はサイトの開設の年で、「消えた村」がいつ載ったのかはページに書かれていない。インターネット・アーカイブの保存記録から言えるのは、「遅くとも1998年12月3日には載っていた」ということまでだ[1]。投稿者が誰なのか、この話をどこで聞いたのかも、確かめられなかった。

032000年夏、雑誌とテレビで全国へ

投稿サイトの一話にすぎなかった杉沢村が、全国に知られるようになったのは2000年の夏だ。

まず雑誌がある。ウィキペディア日本語版は、2000年8月の『ダークサイドJAPAN』創刊号を「杉沢村がマスメディアに初めて登場」した例に挙げている[4]。この雑誌が2000年8月から出ていたことは、国立国会図書館の書誌で確かめられる[5]。2000年9月の地元紙も、「今夏、雑誌に特集記事が登場して」騒ぎが大きくなったと書いている[3]。

次にテレビだ。フジテレビ系の『奇跡体験!アンビリバボー』が、2000年8月24日の特番で杉沢村を取り上げ、これで全国的に広まったとされる[4]。番組は何回かにわたって杉沢村を追ったが、村の正体は最後まで分からなかった。ウィキペディアによれば、番組の結論はこうだった。

杉沢村は時空の歪みの中に存在し、現われたり消えたりする村である

探しても見つからないことが、そのまま「消える村」という怖さに変わる。この結論は、伝説を終わらせるのではなく、むしろ長生きさせる形になった。

その後、杉沢村は映像の商品にもなった。国立国会図書館には、「TV放送禁止シリーズ」と銘打ったVHS『杉沢村伝説 この村に入った者に命の保障なし』が所蔵されている。40分で、語り手は桜金造さんだ[6]。ウィキペディアは、2001年・2002年のビデオ、2014年の映画、2015年のゲームアプリも挙げている[4]。

一方、2014年度の学生論文は、雑誌記事の一覧を調べた結果として、次のように書いている。

雑誌に取り上げられるようになるのは少なくとも「アンビリバボー」放送以後であることがわかった。

資料どうしの食い違い 上の学生論文は、雑誌に載ったのはテレビの後だとする[7]。しかし、ウィキペディアは2000年8月の雑誌を「初登場」とし[4]、2000年9月の地元紙も「今夏、雑誌に特集記事」と書いている[3]。雑誌の発売日と放送日のどちらが先だったのかは、確かめられなかった。また、放送日の「2000年8月24日」はウィキペディアと学生論文が同じ日付を挙げているが、番組の記録そのものは見られなかった。番組の中身も、この記事では確かめていない。

04地元紙が確かめた「その場所」

テレビ放送から10日ほど後の2000年9月3日、青森の地元紙・東奥日報が、この騒ぎを記事にした。見出しは「ネットで話題「青森杉沢村伝説」」。記者は、うわさの舞台とされた場所を実際に訪ね、元の住民の家族にも話を聞いている[3]。記事の書き出しは、結論をはっきり示している。

調べてみると、集落が消えたのは単に過疎が原因。

街の向こうに連なる雪の残る八甲田の山々
PD青森市から見た八甲田連峰(2021年5月)。地元紙は、うわさの場所を「市中心街から約十キロ南、八甲田山系のすそ野」と書いた。作者:あおもりくま。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

記事によれば、その場所は青森市の中心街から南へ約10キロ、八甲田山系のすそ野にある。入口には確かに鳥居があり、その下に大きな石が二つある。杉林の中の林道を進むと空き地があり、人けのない一軒家と、その奥に墓がある。記者も「昼なお暗い林の中では、異様な雰囲気も漂う」と認めている[3]。目印は、うわさとよく合っていた。

しかし、そこにあった集落の歴史は、うわさとはまったく違っていた。電気も通らず、学校まで1時間半以上かかる山あいの土地で、住んでいたのは3軒ほど。その家々も、よそへ移っていった。

三軒ほどあった家が昭和四十三年ごろを最後に、よそへ移り住んで自然消滅した。

昭和43年は1968年だ。最後に住んでいた一家の人は、記者にこう説明している。墓はその家のもの。建物は兄が建てて、別荘代わりに使っている。入口の鳥居は、20年前に父が建てたもの。住んでいたころは杉林ではなく一面の畑で、怪談の舞台になるような薄暗い場所ではなかった[3]。

川沿いにまっすぐ並んで立つ杉の人工林
CC BY-SA 4.0杉の人工林(秋田県能代市、米代川沿い)。地元紙によれば、うわさの場所は2000年には杉林の中だったが、人が住んでいたころは一面の畑だった。写真は伝説の場所ではない。作者:掬茶。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

では、伝説の「どくろのような石」は何だったのか。記者は石をよく見て、刻まれた文字を読んでいる。

入り口の石もよく見ると、五穀豊じょう、村の安全を祈る猿田彦神という文字が読み取れる。

「猿田彦大神」と刻まれた苔むした石碑
CC BY-SA 4.0「猿田彦大神」と刻まれた石碑(熊本市西区の石神八幡宮)。猿田彦は道案内の神とされ、村の入口や道ばたにこうした石がまつられてきた。写真は伝説の場所の石ではない。作者:Imuemu。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

村を守るための神の石が、うわさの中では「どくろ」になっていた。苔や風化で文字が見えにくくなった石が、夜の懐中電灯の光では顔のように見えたのかもしれない。これは編集部の推測だが、見る人が先に話を知っていれば、ただの石も怖いものに見えてくる。

「杉沢村」という名前と、古いうわさ

記事はさらに、この集落の古い姿にも触れている。平凡社の『青森県の地名』によると、明治の初めの記録に家が4軒とあり、昔は60軒余り、300人余りが住んでいたが、天明の飢饉(1780年代)で離散して家が減った、という[3]。人が減った理由は、事件ではなく飢饉と、その後の暮らしの厳しさだった。

「杉沢村」という名前は、行政上の村の名前ではなかった。元住民の家族によれば、住所の一部である「小杉」から、「杉さ行ぐ(杉へ行く)」という言い方がなまってできた通称だという[3]。地図に「杉沢村」と載っていないのは、消されたからではなく、もともと正式な村の名前ではなかったからだ。

ただし、記事は大事なことも書き留めている。「殺人があった杉沢村」といううわさ自体は、ネットよりずっと前から青森の町にあった。60歳の男性は「四十年も前に聞いた」と話し、元住民の家族も父親から聞いたことがあるという。だが、それは「だれが殺されたとか具体的な話は何もない」うわさだった[3]。そして記者は、警察の記録にもあたっている。

「青森県警察史」など多くの資料でも、同市では明治以降、大量殺人は起きていない。

記事の見立てはこうだ。鳥居、林の中の墓、住む人がいなくなってから10年ほど残っていた空き家。そうしたものの雰囲気が地元のうわさを少しずつふくらませ、インターネットが一種のブームを作った[3]。記事の最後には、「真の杉沢村は別にある」という新しい説がもう語られ始めている、とも書かれている。うわさは、否定されるとすぐに場所を移して生き延びていった。

確かめられなかった点 『青森県の地名』の記述は、新聞記事が引いたものを読んだだけで、本そのものは確認していない。また、記事に出てくる元住民の家族は匿名(Aさん・Bさん)で、この記事でも名前は出さない。現在その土地がどうなっているかは確かめていない。私有地を含む場所であり、訪ねることはすすめない。

05モデルとされた事件:津山事件と、青森の一家殺害事件

杉沢村の話には、「元になった本当の事件がある」という説がいくつもついて回る。ここでは、名前の挙がる事件を、記録で確かめられる範囲で見ていく。

1938年、岡山県の津山事件

最もよく挙がるのが、1938年(昭和13年)5月21日の未明、岡山県苫田郡西加茂村(現在の津山市)の集落で起きた事件だ。一人の青年が近所の家々を襲い、30人が亡くなった。青年はその後、自ら命を絶った[8]。「一人の村人が多くの村人を殺し、自分も死ぬ」という筋は、杉沢村の話と重なる。この事件は、小説の題材にもなった。

横溝正史の小説『八つ墓村』、および西村望の小説『丑三つの村』のモチーフになった事件である。

眼鏡をかけた和服姿の男性の白黒の肖像写真
PD作家の横溝正史。『八つ墓村』の書き出しに津山事件を下敷きにした。『日本推理小説大系 第7巻 横溝正史集』(東都書房、1960年)より。撮影者不明。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

『八つ墓村』は1949年から1951年にかけて雑誌に連載された[9]。横溝は、書き出しに津山事件を使うことを思いついたが、舞台の置き方には気を配っている。

ただし、作品の舞台はわざと事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた

小説家は、実際の事件と実在の土地を切り離そうとした。ところが杉沢村の話は逆の方向へ進んだ。2000年にネットで語られていた形では、杉沢村は「八つ墓村の基になった村」とされ、舞台は青森の実在の場所に結びつけられていた[3]。1998年の管理人のコメントが「『八つ墓村』のモデルになった話」と並べていたように[1]、岡山の事件と小説のイメージが、青森の山の中へ移されていったように見える。

1953年、旧新和村の一家殺害事件

もう一つ、青森県内の事件を由来とする説もある。1953年(昭和28年)12月、青森県中津軽郡新和村(1955年に弘前市と合併)で、一つの家族の7人が猟銃で殺され、家が焼けて子ども1人も亡くなった事件だ[10]。

ウィキペディアによれば、ノンフィクション作家の斎藤充功さんや、元報道記者の石川清さんが、この事件を杉沢村伝説の由来とみる説を書いている。また、オカルト研究家の並木伸一郎さんは2007年の本で、この事件が人々に津山事件を思い起こさせ、二つの事件が混ざって伝説の下地になったと考えている[4][10]。

ただ、この説にはいくつか気をつけたい点がある。まず、この事件は一つの家族の中で起きた事件で、「村人全員」が殺されたわけではない。村が地図から消されたわけでもない。新和村が地図から消えたのは、事件の1年あまり後に弘前市と合併したからだ[10]。場所も、2000年に地元紙が取材した青森市南部の集落とは別の地域にあたる。

この事件には、実在の被害者と遺族がいる。この記事では、事件の細部には立ち入らない。伝説の「由来」として語るときも、怪談の材料として消費されてよい出来事ではないことは、書いておきたい。

確かめられなかった点 斎藤充功さん(2014年)、石川清さん(2015年)、並木伸一郎さん(2007年)の本そのものは確認できず、ウィキペディアの記述を通して読んだ[4][10]。ウィキペディアは、森村誠一の小説『野性の証明』に出てくる架空の集落が杉沢村伝説をモチーフにしたという説も紹介しているが、出典が付いていないため、この記事では取り上げない[4]。また、1998年の投稿者がどの事件を念頭に置いていたのかは分からない。

06なぜ「地図から消された村」は怖いのか

記録をたどると、杉沢村伝説の「事実」の部分はほとんど崩れる。それでも、この話は20年以上にわたって語られ続けてきた。なぜなのか。

草におおわれた空き地と、苔むしたコンクリートの基礎石
CC BY-SA 4.0京都市右京区の山あいに残る廃村の跡(2020年撮影)。家の土台だけが草の中に残る。過疎で人が去った集落は日本各地にあり、杉沢村と呼ばれた場所もその一つだった。作者:Indiana jo。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

一つめの理由は、「地図から消える」ことが、実際にはよくある出来事だからだ。市町村の合併で村の名前は消える。過疎で人が去れば、集落は地図の上でも目立たなくなる。じっさい「杉沢村」という名の村は、ほかの県には実在した。秋田県公文書館には、明治11年(1878年)の「羽後国秋田郡杉沢村」の山林調べの文書が残っている[11]。ありふれた名前と、ありふれた「村の消え方」。伝説は、その身近さを利用して本当らしさを手に入れている。

二つめは、「都会の側から見た村」というまなざしだ。2014年度の学生論文は、杉沢村の話の書き方に注目している。

現代の社会から隔絶を図ろうとする文章が多く残る。

論文は、「地図上から抹消された」「見にいっても辿りつけなかった人もいる」といった言い回しが、杉沢村を現実の社会から切り離された「異界」に置いていると論じる。そして、横溝正史の作品について、文学研究者が「都会」の側から「田舎」を異様なものとして眺める視点を指摘していることを紹介し、杉沢村やくねくねのようなネットの怪談も同じ視点を受け継いでいるのではないか、と考えている[7]。

この見方に立つと、地元紙の記事が映した現実との落差がよく分かる。うわさの中では「呪われた村」でも、実際には、電気の通らない不便な土地で畑を耕し、やがて町へ移った数軒の家族の暮らしの跡だった。鳥居は家族が建てたもので、墓は家族の墓だった[3]。伝説が広まるほど、その家族の土地は「悪霊の村」と呼ばれ、夜中に知らない人が車で来る場所になった。

三つめは、伝説の「探しに行ける」作りだ。看板、鳥居、どくろの石、血の跡。目印がそろっているので、話は読むだけでなく「確かめに行く」ものになる。学生論文も、杉沢村は場所がネットの利用者の中で決められたり仮定されたりしていて、そこへ調べに行く形の伝説だと述べている[7]。この作りが、地元への迷惑と表裏一体になっていた。

07よく言われる説を確かめる

杉沢村伝説について語られる「説」を、ここまでの資料に照らして並べた。

説根拠評価
昭和の初めに村人全員が殺され、村が地図から消された舞台とされた青森市南部の集落は、過疎で1968年ごろに人がいなくなった。青森市では明治以降、大量殺人は起きていないと地元紙が警察の記録をもとに書いている[3]否定的
「杉沢村」は正式な村の名前だった元住民の家族によれば、地名「小杉」から生まれた通称。正式な村名として地図に載っていたことを示す資料は見つからなかった[3]否定的
入口の「どくろのような石」は不吉なしるし地元紙の記者が読んだ文字は、五穀豊穣と村の安全を祈る猿田彦神だった[3]否定的
津山事件や『八つ墓村』のイメージが下地になった1998年の投稿サイトの管理人がすでに津山の事件を連想しており、2000年のネットの話も「八つ墓村の基」とうたっていた[1][3]有力
1953年の旧新和村の一家殺害事件が由来作家らがそう書いているとされるが、本そのものは未確認。事件は一家の中のもので、場所も地元紙が取材した集落とは別の地域[10]確かめられず
ネットより前から、青森に「殺人があった杉沢村」のうわさがあった地元の人が「四十年も前に聞いた」と話している。ただし具体的な中身はない[3]有力

杉沢村伝説は、何もないところから生まれた話ではなかった。青森の町には昔から、中身のはっきりしない「人殺しの村」のうわさがあった。そこに、山あいの廃れた集落の鳥居や墓が目印として重なり、岡山の津山事件や『八つ墓村』のイメージが流れ込んだ。1998年ごろに投稿サイトで文字になった話は、2000年夏に雑誌とテレビで全国へ広がった。

その同じ年の9月、地元紙はすでに「その場所」を訪ね、集落が消えたのは過疎のためだったと書いていた。記録を並べると、この伝説は「消された村」の話というより、静かに消えていった小さな集落の上に、遠くの人々が別の物語を重ねていった記録だと分かる。うわさの舞台とされた場所は、今も誰かの家族の土地だ。怖い話として楽しむのは、画面の上までにとどめておきたい。

出典・参考資料

  1. 「怪異・日本の七不思議」(kibitaro & web surfer)「地域別の七不思議1 北海道・東北」. インターネット・アーカイブ(1998年12月3日保存分). https://web.archive.org/web/19981203045449/http://www.orange.ne.jp:80/%7Ekibita/jp7/local1.html(閲覧 2026-10-06)↩
  2. 「怪異・日本の七不思議」(kibitaro & web surfer)「消えた村」. インターネット・アーカイブ(1999年5月3日保存分). https://web.archive.org/web/19990503030641/http://www.orange.ne.jp:80/%7Ekibita/jp7/secret/l022.htm(閲覧 2026-10-06)↩
  3. 「ネットで話題「青森杉沢村伝説」」Web東奥(東奥日報), 2000年9月3日. インターネット・アーカイブ(2008年2月25日保存分). https://web.archive.org/web/20080225174014/http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2000/nto20000903.html(閲覧 2026-10-06)↩
  4. ウィキペディア日本語版「杉沢村伝説」(2026年9月版, oldid=111159125). https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%89%E6%B2%A2%E6%9D%91%E4%BC%9D%E8%AA%AC&oldid=111159125(閲覧 2026-10-06)↩
  5. 『ダークサイドJapan』1〜3号(2000年8月〜12月), ミリオン出版〈Million mook〉(国立国会図書館サーチの書誌情報). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000161362-i12426273(閲覧 2026-10-06)↩
  6. 『杉沢村伝説 この村に入った者に命の保障なし』トランスフォーマー, [200-], ビデオカセット1巻(40分), TV放送禁止シリーズ(国立国会図書館サーチの書誌情報). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011290782(閲覧 2026-10-06)↩
  7. 米津海「インターネット都市伝説の架空性と領域」(堀田穣ゼミの学生論文。京都先端科学大学〈旧・京都学園大学〉人文学会のサイトで公開されたPDF), 2014年度. https://lab.kuas.ac.jp/~jinbungakkai/pdf/2014/h2014_06.pdf(閲覧 2026-10-06)↩
  8. ウィキペディア日本語版「津山事件」(津山三十人殺し)(2026年9月版, oldid=111222307). https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=111222307(閲覧 2026-10-06)↩
  9. ウィキペディア日本語版「八つ墓村」(2026年9月版, oldid=111171666). https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%AB%E3%81%A4%E5%A2%93%E6%9D%91&oldid=111171666(閲覧 2026-10-06)↩
  10. ウィキペディア日本語版「青森県新和村一家7人殺害事件」(oldid=106709893). https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C%E6%96%B0%E5%92%8C%E6%9D%91%E4%B8%80%E5%AE%B67%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=106709893(閲覧 2026-10-06)↩
  11. 「山林原野其他原由取調書 第二大区六小区羽後国秋田郡杉沢村」1878年(明治11年), 秋田県公文書館所蔵(国立国会図書館サーチの書誌情報). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000094-I1305060(閲覧 2026-10-06)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。