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検証UMA探検史

モケーレ・ムベンベ探検の100年
コンゴの「生きている恐竜」を追った人々は何を見つけたか

コンゴ共和国の北部、リクアラ地方の湿地にあるテレ湖。ここに首の長い大型の動物「モケーレ・ムベンベ」がすむという話を確かめるため、100年あまりのあいだに、欧米と日本から何度も探検隊が入った。誰が、どんな理由で出かけ、何を持ち帰ったのか。当時の通信社の記事と、探検した本人たちの言葉をもとにたどる。

文 未確認生物研究所 編集部公開 2026年10月4日約14分で読めます出典 16件

この記事の要点

  • 「アフリカに恐竜が生き残っている」という話を広めたのは、1909年のハーゲンベックの本。舞台はコンゴではなく、ローデシア(いまのジンバブエ方面)だった
  • 1913年のフォン・シュタインの報告は「伝承だろう」という慎重な書き方だったが、のちの紹介ではその但し書きが落ちた
  • 1981年、テレ湖で目撃したと発表した探検家は、写真を出せなかった。同じ年に別の探検をした動物学者は「見たと言うことは誰にでもできる」と答えた
  • 1988年の早稲田大学探検部を含め、どの探検も骨・死骸・はっきりした写真を持ち帰っていない。この湿地で実際に「見つかった」のは、12万頭を超えるゴリラだった

01始まりはコンゴではなかった:1909年、ハーゲンベックの本

モケーレ・ムベンベは、コンゴ共和国の北部、リクアラ地方の湿地にすむといわれる大型の動物だ。ゾウほどの胴に、長い首と長い尾。草を食べ、川や湖にひそむ。こう聞くと、多くの人は首の長い恐竜、竜脚類を思い浮かべる。実際、この100年あまりの探検の多くは「恐竜の生き残りを探す」旅として行われてきた。

では、「アフリカの奥地に恐竜が生きている」という考えは、どこから来たのか。たどっていくと、1冊の本に行き着く。ドイツの動物商で、ハンブルクに動物園を開いたカール・ハーゲンベックの回想録『Beasts and Men(動物と人間)』だ[2]。

カール・ハーゲンベックの肖像写真
PDカール・ハーゲンベック(1844〜1913)。世界中から野生動物を集めて売り、ハンブルクに動物園を開いた。撮影:Atelier Theod. Reimers(ハンブルク)、1880〜1900年ごろ。パブリックドメイン(米国議会図書館所蔵)。 / Wikimedia Commons

ハーゲンベックは、動物を買い付けるために世界の奥地へ人を送っていた。その一人と、アフリカで狩猟をしていたイギリス人から、ほとんど同じ話を聞いたという。本にはこう書かれている。

The natives, it seemed, had told both my informants that in the depth of the great swamps there dwelt a huge monster, half elephant, half dragon.

現地の人々は、私に話をした2人のどちらにも、大きな沼地の奥に巨大な怪物がすんでいると語ったらしい。半分はゾウ、半分はドラゴンのような怪物だ。

ハーゲンベックはこれを「ブロントサウルスに近い恐竜の一種に違いない」と考え、お金をかけて探検隊を送った。だが隊員は熱病に倒れ、現地の人々との衝突もあって、何も証明できないまま帰ってきた、と本人が書いている[1]。

ここで大事なのは、この話の舞台がローデシア、いまのジンバブエやザンビアのあたりだったことだ。コンゴの名前は出てこない。古生物学者のダレン・ナイシュは、生き残りの竜脚類の話はもともとコンゴとは関係がなく、20世紀の初めにはザンビアやサハラ砂漠の縁、南アフリカなど、あちこちが「恐竜のすみか」として語られていたと指摘している[2]。

なぜこの時期だったのか。ナイシュは、当時の「恐竜ブーム」との関係を挙げる。アメリカ西部で見つかった竜脚類の全身骨格が、1905年にニューヨークとロンドンで初めて展示され、大きな話題になっていた。

Hagenbeck was almost certainly taking advantage of an early 20th century dinosaur craze that was sweeping the globe at the time.

ハーゲンベックは、当時世界を席巻していた20世紀初めの恐竜ブームに、ほぼ間違いなく乗っていた。

沼地につかるブロントサウルスと、岸で草を食べる竜脚類を描いた古い復元画
PDチャールズ・R・ナイトが1897年に描いたブロントサウルス(水の中)とディプロドクス(岸)。竜脚類は沼に体を沈めて暮らしていた、という当時の考え方で描かれている。モケーレ・ムベンベの「水の中にすむ首長の恐竜」という姿は、この古い復元像とよく重なる。画:Charles R. Knight(1919年の New-York Tribune 掲載)。パブリックドメイン。 / Wikimedia Commons

話はすぐに新聞に乗った。懐疑派の調査で知られるベンジャミン・ラドフォードによれば、1910年にはワシントン・ポストが「ブロントサウルスはまだ生きている」という見出しで報じている[3]。のちに『Abominable Science!(忌まわしき科学)』でこの怪物の歴史を調べたダニエル・ロクストンとドナルド・プロセロは、これが現代のモケーレ・ムベンベ伝説の出発点になったと位置づけた[3]。ロクストンは本の刊行後のインタビューで、この怪物が人々に知られるようになった時期は、北米と欧州で最初の竜脚類の骨格が組み立てられた時期と「ほぼ同じ」で、偶然とは思えないと話している[4]。

021913年、フォン・シュタインの報告と「消えた但し書き」

「モケーレ・ムベンベ」という名前が記録に出てくるのは、その数年後だ。1913年、当時ドイツの植民地だったカメルーンの調査を命じられた軍人、ルートヴィヒ・フォン・シュタイン・ツー・ラウスニッツ大尉が、川沿いの人々からこの動物の話を聞き取った[5]。

報告によれば、動物は茶色がかった灰色で、なめらかな皮膚を持ち、大きさはゾウか、少なくともカバほど。長くしなやかな首と、1本の長い歯(角という人もいる)を持つ。近づいたカヌーを襲うが、人は食べない。川岸の粘土にできた穴にすみ、植物だけを食べる[5]。この記述は、のちの探検家たちがくり返し引用する「原典」になった。

ただ、この報告は第一次世界大戦のために出版されなかった。知られている限り、原稿は後の著者たちが引用した断片としてしか残っていない[5]。そして、引用されるうちに大事な一文が落ちた、と指摘したのが、懐疑派のポッドキャスト「Skeptoid」のブライアン・ダニングだ。

ダニングによれば、いま確認できるいちばん古い引用は、1929年のドイツの科学読み物作家ヴィルヘルム・ベルシェの本だ。ベルシェは、フォン・シュタインがこの動物を「現地の人々の頭の中にしかいない、伝承だろう」と慎重に書いていたことも伝えていた。ところが、1955年に未知動物学の古典となる本を書いたベルナール・ユーヴェルマンスは、その部分を省いた[5]。

The one key point Heuvelmans chose to omit, however, was Bölsche's extended inclusion of Von Stein's belief that it was probably just local legend, and not a description of an actual animal.

ところが、ユーヴェルマンスがあえて省いた大事な点が一つある。ベルシェが詳しく書いていた、フォン・シュタイン自身の見方だ。これはおそらく土地の伝説で、実在する動物の描写ではない、という見方である。

英語圏の本の多くは、ユーヴェルマンスを出発点にしている。そのため「フォン・シュタインは実在の動物だと考えていた」という印象が広まった、とダニングは書く[5]。一つの但し書きが落ちただけで、「伝承の記録」は「目撃の記録」に変わってしまった。

031980年代の探検ラッシュ:マッカルとレグスターズ

熱帯林の間を流れるリクアラ・オ・ゼルブ川を船で進む様子
CC BY-SA 4.0コンゴ共和国北部のリクアラ・オ・ゼルブ川(2018年撮影)。1980年代の探検隊は、こうした川を丸木舟などでさかのぼって湿地の奥をめざした。作者:JosepMGracia。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

長く本の中の話だったモケーレ・ムベンベが、実際に人が探しに行く対象になったのは1980年前後だ。きっかけを作ったのは、アメリカのワニの研究者ジェームズ・パウエルだった。ガボンでワニを調べていたパウエルは、現地で大きな川の怪物の話を聞き、それをシカゴ大学の生物学者ロイ・マッカルに伝えた[6]。

マッカルはパウエルとともにコンゴ北部に入り、目撃したという人々から話を聞いた。翌1981年にはもっと大きな隊で戻り、怪物がすむといわれるテレ湖をめざした。だが、湖へ通じる水路は倒木でふさがれていて、重い丸木舟では進めなかった[6]。マッカルはこの2回の探検で多くの証言を集めたが、自分の目で動物を見ることも、物的な証拠を得ることもなかった[3]。

同じ1981年、別の隊がテレ湖にたどり着いた。率いたのは、アメリカの航空宇宙エンジニア、ハーマン・レグスターズだ。もともとはマッカルと一緒に行く予定で、ソナー(音波探知機)を担当するはずだった。だが「個人的・職業上の違い」から計画は割れ、レグスターズは自分の隊を組んだ[7]。

1981年12月、ロサンゼルスに戻ったレグスターズ夫妻は記者会見を開いた。テレ湖で、首の長い動物を何度も見たという。妻のキアさんは、小さなボートの上から見た様子をこう話した。

I saw a large serpent-like head and neck rising out of the water

大きな、ヘビのような頭と首が水面から持ち上がるのを見ました。

夫妻によれば、写真は1枚だけ撮れた。ただし民間の現像所で処理中で、会見には間に合わなかった。代わりに出されたのは、湖でよく聞いたという「とどろくような鳴き声」を録った20秒の録音だった。UPI通信の記者は、そのジャングルの音が何の音なのかは聞き分けられなかったと書いている[8]。夫婦は、この話を映画やテレビに売る用意もあると話した[8]。

この発表に、かつての相棒のマッカルは冷ややかだった。前日、UPIの取材に「彼には資格がない」と答え、こう続けている[7]。

Any of us can say we see something. My attitude with regard to his claims is a healthy, open-minded skepticism

見たと言うことは、誰にでもできる。彼の主張に対する私の態度は、健全で、偏見のない懐疑だ。

同じ記事で、マッカル自身も「動物は実在すると確信しているが、まだ見ていない」と話している[7]。2人の違いは、信じるかどうかではなく、何を証拠とみなすかにあった。

では、その写真はどうなったのか。約3年後の1985年、再びコンゴへ向かう準備をしていたレグスターズについて、UPIはこう伝えている。

Reguster said on his return from Africa in 1981 that he had taken pictures of the animal but that all 23 rolls of film were underexposed.

レグスターズは1981年にアフリカから戻った際、動物の写真を撮ったが、23本のフィルムはすべて露出不足だったと話していた。

1983年には、コンゴの生物学者マルスラン・アニャニャが自分の隊でテレ湖に入り、首の長い動物を見たと報告した。8ミリカメラで撮ろうとしたが、レンズの設定を近接撮影から切り替え忘れ、映像は残らなかったという[6]。証言は増えていくのに、写真と映像だけはいつも残らない。この時期の探検は、そのくり返しだった。

記録どうしの食い違い レグスターズ隊の人数は、1981年12月22日の同じUPIでも「米国人3人・アフリカ人3人・ポーター13人」とする記事と「米国人3人・アフリカ人3人」とする記事があり、1985年の記事では「6人」になっている。目撃の回数も「4回」と「5回」に分かれる。写真は「1枚撮れて現像中」から「23本すべて露出不足」に変わった[8][9]。また、マッカルの1回目の探検を、肯定側のギボンズは1979年、ラドフォードらは1980年と書いており、この記事では年を特定していない[6][3]。

041988年、早稲田大学探検部の40日

川の水が森の中まで入り込んだ浸水林
CC BY-SA 4.0リクアラ・オ・ゼルブ川沿いの浸水林(2018年撮影)。雨季には水が森の奥まで入り、陸と川の境がなくなる。作者:JosepMGracia。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

1988年2月、日本からも探検隊がコンゴへ向かった。早稲田大学探検部を中心に、未知動物の研究家や他大学の探検部OBも加わった総勢11人だ[12]。隊長は、のちにノンフィクション作家になる高野秀行さん。その記録は、いまは集英社文庫『幻獣ムベンベを追え』として読める。出版社の紹介文は、湖のほとりでの「密林サバイバル生活40日間」の記録だとしている[10]。旅全体は78日間に及び、そのうち約40日を湖での調査にあてた、と紹介する記事もある[11]。

高野さんは2020年のインタビューで、当時をふり返っている。2年生で企画し、3年生で下見、4年生で本番。コンゴは社会主義の国で、それまで外国のジャーナリストや研究者をほとんど入れていなかった。1980年代の後半になって少しずつ門戸が開き、そこへ自分たちが入っていったのだという[13]。探しに行く気持ちについては、こう話している。

ただ単にデッカいヘビやワニかもしれないけど、それならそれで、いいわけ。

恐竜を見つけることが目的ではなかった。「ムベンベって、何だ」を知りたかった、と高野さんは言う[13]。この姿勢は、恐竜の生き残りを前提にしていた欧米の探検の多くとは少し違う。

結果について、高野さんははっきり答えている。

幻の怪獣ムベンベについては、結果としては正体を明かしたというようなことはないんだけれども、あの湖のほとりに行ったからこそわかったことって、ものすごくたくさんあったんですよ。

わかったこととして高野さんが挙げるのは、テレ湖とその周りが現地の人にとってどんな場所なのか、そしてムベンベが村人にとってどんな存在なのか、ということだ。出発のときには新聞などが大きく取り上げたため、帰国後は「で、怪獣いたの?」とうんざりするほど聞かれた。だが本人たちにとっては、病気、けんか、食料不足が次々に襲った日々で、「いたかいないか」という次元の経験ではなかったという[14]。

川岸に並ぶ、草ぶき屋根の家々
CC BY-SA 4.0リクアラ・オ・ゼルブ川沿いの村(2018年撮影)。どの探検隊も、こうした村で案内人を雇い、話を聞くところから始めた。作者:JosepMGracia。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons
この節の資料について 早稲田隊の本(『幻獣ムベンベを追え』)の本文は、この記事では直接確認していない。出発の年月と人数は、同行した探検家が自分のサイトに書いた記録(2001年のアーカイブ)、「40日間」は出版社の書誌ページ、本人の言葉は2020年の「ほぼ日」のインタビューによる。そのインタビューの聞き手は「湖に到着したのが日本を出て40日後」とも言っており、日数の数え方は資料によって少しずつ違う[12][10][11][14]。

051990年代以降:空撮映像、伝道を兼ねた探検、テレビ番組

1992年には、日本のテレビ取材班がテレ湖の上を小型機で飛び、水面をV字の波を立てて進む「何か」を撮った。この映像は、のちに「最良の証拠」と呼ばれることになる[3]。ただ、距離が遠く、画面はぼやけている。首を出した恐竜に見える一瞬の静止画がよく紹介されるが、ダニングはこう書く。

Most people who watch it feels it looks more like two people in a canoe.

この映像を見た人の多くは、むしろカヌーに乗った2人のように見えると感じている。

ラドフォードも、同じ映像をワニやゾウ、カヌーの人と見る人がいると紹介している[3]。

1992年の映像について 撮影したテレビ局の名前や、空から撮ったのか湖の上から撮ったのかは、資料によって書き方が違い、元の番組までは確かめられなかった。この記事では、英語圏の解説が共通して書く「空撮」としている[5][3]。

探検の担い手も変わっていった。1985年から86年にかけて最初の探検でテレ湖に入ったウィリアム・ギボンズは、その後もコンゴやカメルーンへ通った。2002年に創造論の団体の機関誌に書いた記事で、ギボンズは1回目の探検について、ゴリラ、チンパンジー、大きなニシキヘビ、ワニ、カメは見たが「大きな怪物は見なかった」と書いている[6]。それでも、怪物は確かにいると信じていた。2回目の探検で湿地の奥へ進めなかったことについては、こう述べている。

It was nothing more than fear and superstition that was stopping us from making a major discovery.

私たちが大発見をするのを妨げていたのは、恐れと迷信にほかならなかった。

ギボンズは、現地の人々は動物を見られる場所を知っているが、よそ者に話すと死ぬと信じている、と書いた[6]。見つからない理由を、動物ではなく現地の人の側に求める説明だ。

2009年には、アメリカのテレビ番組「MonsterQuest(モンスタークエスト)」がモケーレ・ムベンベを取り上げた。ダニングによれば、番組で「科学者」のように紹介された2人、ギボンズとロバート・マリンは、どちらも地球の歴史は数千年だと考える「若い地球の創造論者」で、科学の学位は持っていなかった[5]。2012年には、生物学の専門教育を受けていないアメリカの若者たちが、クラウドファンディングで2万7000ドルを募って探検に出た[15][3]。ラドフォードによれば、隊はほどなく行き詰まり、寄付の3万ドル近くを使って成果なしで帰国した[3]。

なぜ創造論者が恐竜を探すのか

1980年代以降の探検の担い手を見ていくと、ある傾向が浮かぶ。ギボンズの記事が載ったのは、創造論の研究所の機関誌だった。記事の冒頭近くには、生きた恐竜が見つかれば、長い時間をかけた進化という考えは説明に困るだろう、と書かれている[6]。

理由は、ダニングの説明がわかりやすい。地球の歴史は約6000年だと考える人々の一部は、恐竜が今も生きていると証明できれば、自分たちの考えの裏づけになると感じている[5]。

『Abominable Science!』の2人は、この点をはっきり問題にした。古生物学者のプロセロは、モケーレ・ムベンベ探しの多くが今では創造論者によって行われており、1種が生き残っていれば進化論全体が崩れるかのように考えているのは、進化を理解していない証拠だと語った[4]。共著者のロクストンも、こう続けている。

the Mokele‑Mbembe, in particular, is a case that’s really by, of, and for creationists at this point.

とくにモケーレ・ムベンベは、いまや創造論者による、創造論者の、創造論者のための事例だ。

ロクストンによれば、最近の探検は参加者全員がキリスト教徒で、時間の多くを伝道に使う「宣教の旅」になっている。プロセロは2009年の番組に懐疑派として5分ほど出演したが、放送を見ると、残りは生物学の訓練を受けていない2人の牧師が機材の使い方もわからずに川をさまよう内容だったという[4]。

もっとも、科学の側から見ても、「生きた恐竜」が見つかったからといって進化論が崩れるわけではない。科学ライターのライリー・ブラックは、絶滅したと思われていた魚シーラカンスが生きて見つかったときも、進化の理解にはまったく問題がなかったことを例に挙げている[15]。

引用元の性質について ロクストンとプロセロの言葉は、本そのものではなく、刊行後のインタビュー記事による。本(2013年、コロンビア大学出版局)の該当章は、この記事では直接確認していない。ギボンズの記事は、探検をした本人の記述として、肯定側の資料として紹介した。

06100年の探検で、実際に何が見つかったか

熱帯林を映す、黒っぽい水の流れる川
CC BY-SA 4.0熱帯林を映すリクアラ・オ・ゼルブ川の黒い水(2018年撮影)。作者:JosepMGracia。CC BY-SA 4.0。 / Wikimedia Commons

ここまでの探検が持ち帰ったものを並べてみる。目撃したという証言、出なかった写真、何の音かわからない録音、設定を誤った8ミリ、遠くて判別できない空撮映像。骨も、歯も、死骸も、糞もない。ラドフォードは、これまでの探索は20数回にのぼるが、怪物の写真も映像も、骨も歯も得られていないとまとめている[3]。

ブラックは、野生動物の調査の経験から、この「見つからなさ」自体が答えだと論じる。絶滅したと思われた哺乳類が再発見される場合、多くは3〜6回の調査で見つかり、それ以上探して見つからなければ、見込みは大きく下がるという研究を挙げ、こう結論している[15]。

Given that there have been over a dozen unsuccessful expeditions to the Congo Basin looking for sauropods—immense creatures that would leave plenty of evidence in the landscape if they existed—the conclusion is clear.

コンゴ盆地では、竜脚類を探す探検が十数回も失敗している。実在するなら、地面にたっぷり痕跡を残すはずの巨大な動物だ。結論ははっきりしている。

では、この湿地で何も見つからなかったのかというと、そうではない。ギボンズの1回目の探検では、案内人が撃った正体のわからないサルの標本が大英自然史博物館に届けられ、マンガベイというサルの新しい亜種と分類されたという[6]。

もっと大きな「発見」は2008年に発表された。野生生物保全協会(WCS)とコンゴ政府が、リクアラ地方を含む北部の2つの地域で森と湿地を歩き、ゴリラが毎晩つくる寝床を数えた。その結果、12万5000頭を超えるニシローランドゴリラがいると推定された。1980年代の推定では、この種は世界全体でも10万頭に満たないとされていた。孤立したヤシの湿地では、それまで知られていなかった約6000頭の群れも見つかった。WCSは、テレ湖コミュニティ保護区の管理にも協力している[16]。

岩の上に座るニシローランドゴリラ
CC BY 2.0ニシローランドゴリラ。コンゴ北部の湿地林で行われた調査では、12万5000頭を超えると推定された。写真の個体の撮影地は記録されていない。作者:Tim Sträter。CC BY 2.0。 / Wikimedia Commons

人が近づきにくい湿地の森でも、地道に歩けば、大型の類人猿の数を万の単位でつかめる。ゾウほどの動物が子孫を残せる数だけ暮らしているなら、足跡や食べあと、死骸など、何かが引っかかるはずだ。ブラックの言う「痕跡」とは、こういうことだ[15]。

07説ごとの判定と、モケーレ・ムベンベという物語

これまでの資料から、よく語られる説を並べて判定した。

説根拠評価
竜脚類の恐竜が今もテレ湖周辺に生き残っている20数回の探索で骨・死骸・はっきりした写真がない[3]。竜脚類の記録は6500万年以上前で途切れている[15]否定的
現地に昔から「恐竜」の伝承があった大きな怪物の話は古くからあったが、恐竜に似た動物という形は、化石の発見と1909年のハーゲンベックの本の後に広まった[3][2]否定的
1913年の報告は目撃の記録であるフォン・シュタイン自身は伝承と考えていた、とベルシェが伝えている[5]否定的
1981年のレグスターズ夫妻の目撃本人たちの証言はあるが、写真は出ず、録音の音も判別できなかった[8][9]確かめられず
1992年の空撮映像に写ったのは恐竜遠くてぼやけており、カヌーの2人などと見る人が多い[5]否定的
既知の動物の見間違いや、土地の物語が元になっている個々の目撃が何だったかは特定できない。ただし、湿地には大型の動物が多く暮らしている[16]有力

モケーレ・ムベンベの100年をふり返ると、いちばん大きく変わったのは、怪物ではなく「探す人」と「伝え方」だったことがわかる。動物商の本に書かれた遠いローデシアの噂は、恐竜ブームの新聞記事になり、但し書きを落とした引用でコンゴの「目撃記録」になった。1980年代には探検家どうしが証拠をめぐって争い、その後は信仰の裏づけを求める人々の旅になった。

その中で、早稲田大学探検部の高野さんが語った「ムベンベって、何だ。知りたい!」という問いは、今も有効だと思う[13]。この問いへの答えは、湖の底ではなく、ハーゲンベックの本や新聞記事、そして湖のほとりで暮らす人々の話の中にある。100年分の記録が示しているのは、恐竜の足跡ではなく、人が物語を運び、育ててきた跡だ。

出典・参考資料

  1. Carl Hagenbeck『Beasts and Men: Being Carl Hagenbeck's Experiences for Half a Century Among Wild Animals』Hugh S. R. Elliot, A. G. Thacker 訳(抄訳), Longmans, Green, 1912. 第3章末(messybeast.com の全文翻刻。Internet Archive 所蔵の1912年刷のスキャン https://archive.org/details/beastsmenbeingca00hage と照合). http://messybeast.com/captive-animals/hagenbeck-elliot-thacker-abridged-animals-and-men.htm(閲覧 2026-10-04)↩
  2. Darren Naish「Misreading the Mokele-Mbembe (the Mokele-Mbembe, Part 1)」Scientific American Blog Network(Tetrapod Zoology), 2018年6月8日. https://www.scientificamerican.com/blog/tetrapod-zoology/misreading-the-mokele-mbembe-the-mokele-mbembe-part-1/(閲覧 2026-10-04)↩
  3. Benjamin Radford「Mokele-Mbembe: The Search for a Living Dinosaur」Live Science, 2013年8月13日. https://www.livescience.com/38871-mokele-mbembe.html(閲覧 2026-10-04)↩
  4. Kylie Sturgess「Mythbusting Monsters – Abominable Science With Daniel Loxton and Donald Prothero」Skeptical Inquirer(Curiouser and Curiouser), 2014年1月2日. https://skepticalinquirer.org/exclusive/mythbusting-monsters-abominable-science-with-daniel-loxton-and-donald-proth/(閲覧 2026-10-04)↩
  5. Brian Dunning「Hunting the Mokele-Mbembe」Skeptoid Podcast #727, 2020年5月12日. https://skeptoid.com/episodes/727(閲覧 2026-10-04)↩
  6. William J. Gibbons「In Search Of the Congo Dinosaur」Acts & Facts(Institute for Creation Research), 2002年7月1日. https://www.icr.org/article/search-congo-dinosaur(閲覧 2026-10-04)↩
  7. UPI「Claims by a scientist that he photographed a dinosaur-like creature in Africa were met today with 'open minded skepticism'…」1981年12月21日(UPI Archives). https://www.upi.com/Archives/1981/12/21/Claims-by-a-scientist-that-he-photographed-a-dinosaur-like/8838377758800/(閲覧 2026-10-04)↩
  8. UPI「An aerospace engineer claimed Tuesday he and his wife photographed a dinosaur-like creature…」1981年12月22日(UPI Archives). https://www.upi.com/Archives/1981/12/22/An-aerospace-engineer-claimed-Tuesday-he-and-his-wife/5155377845200/(閲覧 2026-10-04)↩
  9. UPI「An amateur explorer who says he discovered a dinosaur-like animal in Africa's Congo…」1985年3月25日(UPI Archives). https://www.upi.com/Archives/1985/03/25/An-amateur-explorer-who-says-he-discovered-a-dinosaur-like/9483480574800/(閲覧 2026-10-04)↩
  10. 高野秀行『幻獣ムベンベを追え』集英社文庫, 2003年(書誌ページ). https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-747538-7(閲覧 2026-10-04)↩
  11. 光浦靖子「つらい、面白い、やめられない!『幻獣ムベンベを追え』」JAL SKYWARD+(光浦靖子さんの旅する推薦図書). https://skywardplus.jal.co.jp/story/other/mubenbe/(閲覧 2026-10-04)↩
  12. 「コンゴドラゴン探検記」(1988年の早稲田大学探検部の遠征に同行した探検家の個人サイト。Internet Archive の2001年5月2日の保存版). https://web.archive.org/web/20010502161728/http://www.h3.dion.ne.jp/~no-no/newpage2.htm(閲覧 2026-10-04)↩
  13. ほぼ日刊イトイ新聞「幻の怪獣ムベンベから、謎のアフリカ納豆まで。」第1回「幻の怪獣を探して。」2020年11月9日. https://www.1101.com/n/s/hideyuki_takano/2020-11-09.html(閲覧 2026-10-04)↩
  14. ほぼ日刊イトイ新聞「幻の怪獣ムベンベから、謎のアフリカ納豆まで。」第5回「本質が宿っているのは。」2020年11月13日. https://www.1101.com/n/s/hideyuki_takano/2020-11-13.html(閲覧 2026-10-04)↩
  15. Riley Black「A Dinosaur Expedition Doomed From the Start」Smithsonian Magazine, 2012年5月23日. https://www.smithsonianmag.com/science-nature/a-dinosaur-expedition-doomed-from-the-start-103367120/(閲覧 2026-10-04)↩
  16. Wildlife Conservation Society「Motherlode of Gorillas Discovered in Central Africa」WCS Newsroom, 2008年8月. https://newsroom.wcs.org/News-Releases/articleType/ArticleView/articleId/5348/Motherlode-of-Gorillas-Discovered-in-Central-Africa.aspx(閲覧 2026-10-04)↩

この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。