天狗の爪、天狗の髑髏、龍の骨
寺に伝わった「怪物の遺物」の正体
日本の寺や神社、古い家には、天狗の爪や天狗の髑髏、龍の骨と呼ばれる品が伝わっている。いま博物館や研究者がそれを調べると、多くはサメの歯の化石、イルカの頭骨、ゾウの化石だった。ただ、昔の人がただ迷信深かったわけではない。限られた知識の中で、彼らは彼らなりに観察し、名前を付けていた。その筋道を資料で追う。

この記事の要点
- 「天狗の爪」は、サメの歯の化石の昔の呼び名。メガロドンなど大型のサメの歯が、寺社の宝物として各地に伝わっている
- 「天狗の髑髏」とされた頭骨は、写真や現物の鑑定でイルカの頭骨とみられるものが多い。くちばしがカラス天狗に見えた
- 1804年に滋賀県で掘り出された「龍骨」はトウヨウゾウの化石。正倉院の「五色龍歯」もゾウの歯の化石だった
- 江戸の学者は観察し、記録し、説を疑ってもいた。足りなかったのは「絶滅した動物」と「昔は海だった」という考え方だった
01寺の宝物になった「怪物の体の一部」
日本の寺や神社には、ときどき不思議な宝物が伝わっている。天狗が落としたという爪。天狗のものだという頭の骨。地中から掘り出された龍の骨。どれも、ふつうなら「伝説の中の生き物」の体の一部だ。
こうした品は、作り話だけでできているわけではない。多くは実際に手に取れる「物」として残っている。そして近年、博物館の学芸員や研究者が、その物を調べ直している。わかってきたのは、正体の多くがサメの歯の化石、イルカの頭骨、ゾウの化石だということだ[1][5][9]。
この記事では、天狗の爪、天狗の髑髏、龍の骨(龍骨・龍歯)の3つを、博物館の解説と学芸員の論文をもとに順に見ていく。あわせて、昔の人がなぜそれを怪物の遺物だと考えたのか、その考え方の筋道もたどる。結論を先に言えば、彼らは何も考えずに信じたのではない。観察し、比べ、説を疑ってもいた。それでも答えに届かなかった理由がある。

天狗は、山に住む怪物として古くから語られてきた。鼻の高い姿のほかに、鳥のくちばしを持つ「烏天狗」の姿でも描かれる。この「山」と「くちばし」という2つの特徴が、あとで見る遺物の読み違えに深く関わってくる。
02天狗の爪:山で見つかる三角の石
「天狗の爪」は、サメの歯の化石を指す昔の呼び名だ。新潟県立自然科学館は、展示しているサメの歯の化石を紹介するコラムで、この名前の由来を説明している[1]。
ポイントは3つある。まず、化石を扱う学問である古生物学が日本に入ってきたのは明治時代で、それより前は化石の正体があまり知られていなかった。次に、サメは骨がやわらかい軟骨魚類なので、骨格は化石になりにくく、見つかるのはほとんど歯だけだ。そして、その歯が標高の高い山の中から見つかることもあった[1]。
まさか海の生き物の歯だとは思わなかった昔の人々は、この三角形の正体不明の石を、その色や形から「天狗の爪」と想像したそうです。
山の中で見つかる、鋭くとがった三角の石。山に住む天狗の爪と考えるのは、当時の知識からすれば自然な連想だった。

なかでも有名なのが、絶滅した巨大なサメ、メガロドンの歯だ。静岡県の奇石博物館は、サウスカロライナ州産のメガロドンの歯を「天狗の爪石」として収蔵している。解説は、この化石が江戸時代中期に木内石亭が書いた『雲根志』で「天狗の爪石」として紹介されていると書き、こう続ける[2]。
当時正体不明の鋭い鮫の歯化石を恐ろしい天狗様の爪に連想したわけである。
同じ解説によれば、岩手県平泉の中尊寺や神奈川県藤沢の遊行寺は、こうした化石を宝物として大切に保管してきた[2]。『日本大百科全書』の項目は、遊行寺や江島弁天で「天狗の爪」が信仰の対象になっていると書いている[3]。
天狗の爪はメガロドンだけではない。魚類学者の上野輝弥さんが書いた『世界大百科事典』の項目によれば、神社や寺に奉納されているサメの歯には、ホオジロザメ属のほかにアオザメ属、イタチザメ属、シロワニ属、ネズミザメ属の歯もある。こうした化石は北海道から沖縄まで、日本の各地から見つかっている[3]。大きなものは高さ15センチに及ぶという[3]。
爪には物語が付いていた
天狗の爪は、ただの珍しい石としてではなく、物語と一緒に伝わることが多かった。細木さんの論文によれば、1712年に成立した百科事典『和漢三才図会』は、立山の天狗の話をこう伝えている。森尻の智明坊という僧が、おごり高ぶった末に声が牛のようになり、ついに天狗となって光蔵坊と名乗り、立山の市ノ谷に住みついた。剱岳の刀尾権現に追い払われて去るとき、爪を一つ落とした。その爪が宝物となって今もある、という[5]。
同じ本は、立山山頂の本社の宝物として「天狗ノ爪一ツ 光蔵坊之手爪」を挙げている[5]。爪という「物」があることで、物語は本当らしくなる。物語があることで、ただの石は宝物になる。天狗の爪は、そうやって参詣者に見せられてきた。
江戸の学者は、すでに疑っていた
「天狗の爪」という呼び名を、江戸時代の人がみな信じていたわけではない。石の収集家として知られる木内石亭は、『雲根志』の「天狗爪石」の項でこの石をくわしく書いた。立山博物館の細木ひとみさんの論文が、その一節を引いている[5]。
石亭によれば、天狗の爪石は長さ一、二寸(3〜6センチほど)で、先がとがり、両側がのこぎりの歯のようにぎざぎざしている。雷が落ちた跡や、古い屋根を葺き替えたとき、大きな石を割ったときに見つかるという。能登の七尾、佐渡、越後などで出る。そして、正体についての説を2つ挙げ、どちらにも疑問をつけた[5]。
或説に、山亀ありよく木に上る、この物の爪なりと。この説疑し。
もう一つの説は「鰐鮫(わにざめ)の類の大魚の歯」というもので、石亭はこれも「詳らかでない」としている[5]。つまり江戸時代の中ごろには、すでに「大きな魚の歯ではないか」という、ほぼ正しい説が出ていた。石亭はそれを否定したのではなく、決め手がないと書いた。石亭自身は伊勢、能登、越後などから20枚を集めていたという[5]。
ヨーロッパでは「舌の石」だった
同じ石は、ヨーロッパでもまったく別の名前で呼ばれていた。『世界大百科事典』の項目はこう書いている[3]。
西洋においても〈舌石glossopetra〉といったり,海の怪獣の歯とみなされていたようである。
日本では「爪」、ヨーロッパでは「舌」。同じ三角の石を見て、それぞれの土地の人は自分たちの知っている何かにたとえた。カリフォルニア大学古生物学博物館の解説によれば、古代ローマのプリニウスのように、この石は空や月から落ちてくると考えた人もいた[4]。雷の跡で見つかるという石亭の記録と、どこか響き合う。

ヨーロッパで答えを出したのは、デンマーク生まれの解剖学者ニコラウス・ステノだ。1666年10月、イタリアのリヴォルノ近くで巨大なサメが獲れ、その頭がステノのもとに届けられた。解剖したステノは、サメの歯が「舌石」にそっくりなことに気づき、1667年に結果を発表した[4]。
Steno, however, argued that glossopetrae looked like shark teeth because they were shark teeth
しかしステノは、舌石がサメの歯に似ているのは、それがサメの歯そのものだからだと論じた。
ステノは、かつて生きていたサメの口から抜けた歯が泥や砂に埋もれ、その場所がいまは陸になっているのだと考えた[4]。同じ解説は、イタリアのファビオ・コロンナが1616年の本ですでに舌石をサメの歯だと書いていたことにも触れている[4]。石亭が「大魚の歯」という説を聞いていたのは、それから100年以上あとだ。
03天狗の髑髏:くちばしの正体
爪の次は頭だ。江戸時代には「天狗の髑髏(しゃれこうべ)」と呼ばれる頭骨が、いくつも人の手を渡っていた。いちばん有名なのは、平賀源内が書いた『天狗髑髏鑒定縁起(てんぐされこうべめききえんぎ)』だろう[6]。
細木さんの論文によれば、話はこうだ。源内の弟子の大場豊水が、芝の愛宕神社の縁日に出かけたところ、門前の小川で怪しい箱を拾った。中身を見た人はみな「天狗の髑髏だ」と言ったが、素人の当て推量では当てにならないと、源内のもとへ持ち込んだ。門人たちは「大きな鳥の頭だ」「いや、大きな魚の頭の骨だ」と言い合って決まらない。そこで源内が「これは天狗のしゃれこうべだ」と言った[5]。
本には「天狗髑髏図」が載っていて、頭の大きさ六寸余(約18センチ)、くちばし七寸余(約21センチ)、全体で一尺二寸余(約36センチ)と書き込まれている[5]。この記事の冒頭の図がそれだ[6]。ただしこの本は学術書ではなく、滑稽本だ。立命館大学アート・リサーチセンターの解説は、医者や本草学者に鑑定を頼んでも満足な答えがなかったことを「ののしったもの」と説明している[7]。源内の「天狗だ」という鑑定は、半分は皮肉として読むべきだろう。

図を見ると、長いくちばしの付いた頭骨だ。現代の博物館は、こうした「天狗の髑髏」をイルカの頭骨と結びつけている。2023年、長崎県波佐見町の波佐見ミュージアムは、イルカの頭骨に「天狗の髑髏」の解説を付けて展示した[8]。
当時の人はイルカのくちばしを、カラス天狗のくちばしに見立てたという。
同じ展示では、ゾウの頭骨も並べられた。ヨーロッパでは、ゾウの頭骨の鼻の穴を、ギリシャ神話の一つ目の巨人キュクロプスの目に見立てたという話がある[8]。骨の読み違えから怪物が生まれるのは、日本だけのことではない。
立山で見つかった「天狗様」
2019年4月、富山県の立山博物館の学芸員が、立山のふもと岩峅寺(いわくらじ)にある旧宿坊・中道坊の家で、神棚の小さな祠を見つけた。中には白い布に包まれたものが納められていて、家では「天狗様」と呼んでいた。布を取ると、長さ約28.5センチ、幅約14.3センチの頭骨が現れた。顔の部分は人の手で削られ、目の穴があけられていた[5]。
細木さんは、この頭骨を「天狗に見えるように仕立てられた」とも言えると書いている。立山博物館は、富山市科学博物館を通じて国立科学博物館の山田格さんと田島木綿子さんに写真を見てもらった。答えは、写真なので断定はできないが、小型のイルカ「ネズミイルカ」の可能性がある、というものだった[5]。
天狗の頭骨とされた品は、ほかにもある。京都の本草学の塾、山本読書室に伝わった大きな頭骨は、江戸時代に3人の学者がそれぞれ別の名前を付けた。小野蘭山は大きな鳥(禿鶖)の頭骨とし、皆川淇園は天狗の骨とし、山本章夫は鮫の骨とした。のちに神奈川県立生命の星・地球博物館の樽創さんが写真で鑑定し、カマイルカの頭骨とわかったという[5]。
高野山の増福院にも、天狗の頭蓋骨が伝わっている。作家の谷崎潤一郎は、1931年の随筆「天狗の骨」でこれを見たときの様子を書いた[5]。
太古の怪獣の骨ではないかとも思はれるが、その方面の専門家に見せても一向説明がつかないといふ。
増福院の頭骨は今も残っているが、蔵にしまわれ、公開されていない。細木さんは、それでも「たぶんイルカの頭骨ではないか」との教示を得たと書いている[5]。中尊寺の峯薬師堂にも「カラス天狗の頭骨」が伝わり、こちらも小型のイルカの頭骨とみられている[5]。細木さんは、例は少ないと断ったうえで、主にイルカの頭骨が「天狗の頭骨」とされたようだとまとめている[5]。
イルカの頭骨は、目の穴が大きく、前に細長いくちばしが伸びる。肉と皮がなくなれば、もとが海の動物だとはわかりにくい。烏天狗という「くちばしのある人型の怪物」のイメージがすでにあったから、人はそこに天狗の顔を見た。
04龍の骨:掘り出されたゾウ
天狗が山の怪物なら、龍は水の怪物だ。そして龍の「骨」は、実際に地面から掘り出された。
1804年(文化元年)11月、近江国滋賀郡南庄村(いまの大津市伊香立南庄町)で、農地を開くために丘を崩していた百姓が、土の中から大きな骨を見つけた。骨は村の領主の膳所藩に届けられ、京の儒学者・皆川淇園が招かれて調べた。その結果、これは龍の骨だとされた[9]。
このときに出土した骨を観察した当時の人々は龍の骨と考え、その姿かたちは龍骨図として描かれました。
骨の正体は、トウヨウゾウの化石だった。絵師の上田耕夫とともに記録の図が作られ、藩に提出された。南庄村の化石を描いた「龍骨図」は、いま6点が知られている[9]。

琵琶湖博物館は、この龍骨図を「迷信の記録」としては扱っていない。2024年に実物を展示したときの解説は、むしろ記録の丁寧さを評価している[9]。
ゾウの骨化石という判断にこそ至らなかったものの、出土した骨の形や状況が丁寧に記録され、それらを組み合わせて龍の頭であると推定しています。
博物館は、こうした龍骨図を、当時の知識人が共有していた博物学への関心にもとづく、観察に依拠した写実的な記録だと位置づけている[9]。バラバラに出た骨を組み合わせて「頭」を推定する作業は、方法としては今の古生物学と変わらない。違ったのは、組み立てたときに当てはめた「完成図」が、ゾウではなく龍だったことだ。
ここで、前の章に出てきた名前を思い出してほしい。山本読書室のイルカの頭骨を「天狗の骨」とした皆川淇園は、南庄村の骨を「龍の骨」とした学者と同じ人物だ[5][9]。一人の学者が、イルカを天狗に、ゾウを龍に読んだことになる。淇園が特別に迷信深かったというより、当時の一流の知識人でも、手元の骨を伝説の生き物に当てはめるほかに枠組みがなかったと見るべきだろう。

この龍骨図には、もう一つ興味深い事情がある。琵琶湖博物館が持つ「伏龍骨図並序」は、椿井政隆という人物が序文を添えた巻物だ。椿井政隆は、古い系図や文書、地図を自分で作って大量に世に出した人物(いわゆる「椿井文書」)として知られている[9]。図そのものは丁寧な模写だが、そこに家の由緒の物語が重ねられた。化石の記録が、別の物語に取り込まれていく例でもある。
05薬になった龍:正倉院の龍歯と、香港の「竜の歯」
龍の骨は、記録されるだけでなく、薬として使われてきた。いちばん古い例の一つが、奈良の正倉院に伝わる「五色龍歯(ごしきりゅうし)」だ。
756年(天平勝宝8歳)6月21日、聖武天皇の四十九日にあたる日に、光明皇后は天皇の遺愛品とともに薬物60種を東大寺の大仏に納めた。病に苦しむ人がいれば薬を分け与えてよいとされた薬だ。五色龍歯はその一つで、2020年の正倉院展に出陳された[10]。
「龍歯」と呼ばれるが、実際には象の歯の化石である。
奈良国立博物館の解説によれば、漢方薬として使われ、気持ちを鎮めるなどの効き目があるとされた[10]。1200年以上前の日本で、ゾウの化石がすでに「龍の歯」として大仏に納められていたことになる。
龍骨は、いまも生薬として使われている。富山大学和漢医薬学総合研究所の伝統医薬データベースによれば、竜骨の原料は「大型ほ乳動物」の「化石化した骨」で、第十八改正日本薬局方にも載っている。古い薬物書『神農本草経』では上品に分類され、柴胡加竜骨牡蛎湯などの漢方に配合される[11]。品質の見分け方の記述が面白い。
類白色で、質が軽く、表面に舌をあてた時に吸着性の強いものを良品とする
舌をあてて確かめるという、体を使った見分け方だ。同じデータベースは、中国では龍骨を「花龍骨(五花龍骨)」と「土龍骨」に分けて取り引きしているとも書いている[11]。正倉院の「五色」の名とのつながりを思わせるが、両者の関係を直接示す資料は確かめられなかった。

薬としての龍骨は、科学に思わぬ発見ももたらした。身長3メートルほどと推定される史上最大の霊長類、ギガントピテクスだ。2024年に Nature に載った論文は、その発見のきっかけをこう書いている[12]。
Its initial discovery in an apothecary shop in Hong Kong as a ‘Dragon tooth’
最初の発見は、香港の薬屋で「竜の歯」として見つかったことだった。
この論文が最初の発見として挙げているのは、古生物学者フォン・ケーニヒスワルトの1935年の報告だ。85年かけて探しても、見つかった化石は下あご4点と、2,000点近いばらばらの歯だけだという[12]。サメと同じく、残ったのはほとんど歯だった。「竜の歯」として薬屋の棚に並んでいた化石が、絶滅した巨大な類人猿の存在を教えたのだ。
06鬼の角と牙:記録はあるが、正体は確かめられない
天狗と龍に比べると、「鬼」の遺物ははっきりしない。鬼の角や牙、頭の骨と呼ばれる品の話はあるが、博物館や研究者が正体を調べた記録は、今回の調査では見つけられなかった。
ただ、手がかりはある。細木さんの論文が紹介する立山の記録だ。正徳年間(1711〜1716年)ごろの「立山道名所」は、立山山頂の峰本社の宝物として「人ノ角弐つ、馬ノ角弐つ、鬼ノきば壱つ」などを挙げている[5]。同じ本社には、先に見た天狗の爪もあった。1844年に登った加賀藩の儒者・金子盤蝸は、一寸五分(約5.7センチ)ほどの「天狗ノ爪石」を開帳で見せてもらっている[5]。
盤蝸の記録が興味深いのは、そのあとだ。本社には「女ノ角」「馬ノ角」という品もあった。盤蝸が頼んで見せてもらうと、女ノ角は赤い色の曲玉、馬ノ角は白い曲玉だったという[5]。「角」と呼ばれていたのは、古い時代の装身具の勾玉だった。
江戸時代の参詣者も、ただ拝むだけではなかった。見せてもらい、自分の目で確かめ、それが何に見えたかを書き残している。立山の「鬼ノきば」が何だったのかは、記録がなく確かめられない。ただ、角や牙の形をした遺物は、化石の歯や古い道具など、天狗の爪と同じ種類の取り違えから生まれた可能性がある。これは推測で、裏付けは今のところない。
07なぜ化石は怪物になったのか
ここまでの例をまとめると、見えてくる共通点がある。
- 一部しか残らない:サメは歯、イルカやゾウは頭骨や歯だけが見つかる。全身の姿がわからないから、知っている姿に当てはめるしかない[1][12]
- ありえない場所で見つかる:海のサメの歯が山から、ゾウの骨が丘の土の中から出る。「昔はここが海だった」「この土地にゾウがいた」という考えがなければ、説明がつかない[1][9]
- 形で名前が付く:とがった三角は「爪」や「舌」、長い口先は「くちばし」。名前が付くと、その名前が正体を決めてしまう[2][8]
- 寺社や家が守ってきた:宝物として祀られたからこそ、現物が今まで残り、調べ直すことができた[2][5]
江戸時代の学者は、観察も記録もしていた。木内石亭は「山亀の爪」説を疑い、「大魚の歯」説も挙げた。皆川淇園は骨の形を記録し、組み合わせて頭の形を推定した。足りなかったのは、観察の力ではない。「今はいない動物が昔はいた」という絶滅の考え方と、「陸がかつて海の底だった」という大地の歴史の考え方だった。ステノが舌石をサメの歯だと論じたとき、彼が持ち出したのも、まさにその「埋もれて、陸になった」という説明だった[4]。
判定表:遺物ごとの正体
ここまでの資料をもとに、遺物ごとの正体を整理した。
| 説 | 根拠 | 評価 |
|---|---|---|
| 天狗の爪=サメの歯の化石 | 博物館の標本と解説、事典の記述がそろって一致。メガロドンのほかアオザメ属などの歯もある[2][3] | 有力 |
| 天狗の爪は雷とともに落ちる・山亀の爪 | 江戸時代の説。石亭自身が山亀説を疑っていた[5] | 否定的 |
| 岩峅寺・山本読書室・増福院の天狗の頭骨=イルカ | 国立科学博物館の研究者らの写真による見立てと、学芸員の写真鑑定。いずれも現物の詳しい鑑定ではない[5] | 有力 |
| 源内の「天狗の髑髏」=イルカの頭骨 | 波佐見ミュージアムはそう解説するが、現物の行方は確かめられず、論文は「大鳥か大魚か、詳細はわからない」とする[8][5] | 確かめられず |
| 南庄村の龍骨=トウヨウゾウの化石 | 琵琶湖博物館が出土化石と龍骨図をあわせて展示・解説[9] | 有力 |
| 正倉院の五色龍歯=ゾウの歯の化石 | 奈良国立博物館の出陳品解説[10] | 有力 |
| 立山の「鬼ノきば」の正体 | 宝物の目録に名前があるだけで、現物と鑑定の記録は見つからなかった[5] | 確かめられず |
天狗の爪も、天狗の髑髏も、龍の骨も、捨てられずに祀られてきたから、今こうして正体を確かめられる。昔の人の読み違いは、裏返せば、わからないものを大切にとっておいた記録でもある。いま「未確認」とされている何かも、物さえ残っていれば、いつか同じように名前が変わるのかもしれない。
出典・参考資料
- 新潟県立自然科学館「天狗の爪」『科学館日記』(スタッフコラム), 2019年12月20日(2023年4月4日更新). https://sciencemuseum.jp/cp-bin/wordpress/2019/12/20/%E5%A4%A9%E7%8B%97%E3%81%AE%E7%88%AA/(閲覧 2026-10-04)↩
- 奇石博物館(静岡県富士宮市)「収蔵品 天狗の爪石」. http://www.kiseki-jp.com/japanese/museum/collection/tengu.html(閲覧 2026-10-04)↩
- コトバンク「天狗の爪」(『改訂新版 世界大百科事典』上野輝弥 執筆、『日本大百科全書(ニッポニカ)』籔本美孝 執筆、『百科事典マイペディア』、『最新 地学事典』の各項目). https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%8B%97%E3%81%AE%E7%88%AA-577836(閲覧 2026-10-04)↩
- University of California Museum of Paleontology「Nicolas Steno (1638-1686)」. https://ucmp.berkeley.edu/history/steno.html(閲覧 2026-10-04)↩
- 細木ひとみ「立山の天狗伝説と岩峅寺中道坊の『天狗様』」『富山県[立山博物館]研究紀要』第26号, 69頁以下. https://tatehaku.jp/wp-content/themes/tatehaku/common/images/pdf/bulletin/2019/26_2019_04.pdf(閲覧 2026-10-04)↩
- 風来山人(平賀源内)『天狗髑髏鑒定縁起』大観堂伏見屋善六, 国立国会図書館デジタルコレクション(書誌上の刊年は[安永5(1776)]). https://dl.ndl.go.jp/pid/2534181(閲覧 2026-10-04)↩
- 立命館大学アート・リサーチセンター「中井家コレクション 古典籍の世界 3.3 天狗髑髏鑒定縁起(nakai1198)滑稽本」2021年6月26日. https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/nakai/2021/06/33-nakai1198.html(閲覧 2026-10-04)↩
- 長崎新聞「展示品は『天狗の髑髏』!? 波佐見ミュージアム・驚異の部屋」2023年8月14日. https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=1063625797320523837(閲覧 2026-10-04)↩
- 滋賀県立琵琶湖博物館「江戸時代に描かれたゾウ化石出土記録絵巻『龍骨図』 実物資料を期間限定で展示します」2024年1月. https://www.biwahaku.jp/2024/01/post_173.html(閲覧 2026-10-04)↩
- 奈良国立博物館「第72回 正倉院展」(2020年)出陳品解説「北倉70 五色龍歯」. https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/202010_shosoin/(閲覧 2026-10-04)↩
- 富山大学和漢医薬学総合研究所 伝統医薬データベース「竜骨」生薬学術情報. https://dentomed.toyama-wakan.net/ja/%E7%94%9F%E8%96%AC%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%83%85%E5%A0%B1/%E9%BE%8D%E9%AA%A8/SCC000132?w=1(閲覧 2026-10-04)↩
- Yingqi Zhang ほか「The demise of the giant ape Gigantopithecus blacki」Nature 625:535–539, 2024. https://www.nature.com/articles/s41586-023-06900-0(閲覧 2026-10-04)↩
この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。