バネ足ジャックの正体
ヴィクトリア朝を67年跳び続けた怪人を資料から読み直す
マントを脱ぐと、ぴったりした白い服。目は赤く光り、口から青と白の炎を吐く。追われると、人の背丈より高く跳んで逃げる。ヴィクトリア朝のイングランドを騒がせた「バネ足ジャック」は、1837年から1904年まで、67年にわたって現れたとされる。だが当時の記録を読むと、話はかなり違って見えてくる。

この記事の要点
- 1837年秋、ロンドン郊外に「幽霊・熊・悪魔」の姿の怪人の噂が広がった。1838年1月、市長が投書を公表して騒ぎは公のものになった
- 1838年2月のジェーン・アルソップ事件とルーシー・スケールズ事件は、警察署での証言が残る。ただし証言に「大跳躍」は出てこない
- 1877年のアルダーショット、1904年のリバプールなど後の「出現」は、別人のいたずらや幽霊騒ぎに名前が後から付いたものと考えられる
- 人物像を大きくしたのは、ペニー・ドレッドフル(安い連載小説)と20世紀の本だった。宇宙人説は1950〜60年代に生まれた後付けで、当時の記録に根拠はない
011838年1月、市長に届いた一通の手紙
話は1837年の秋に始まる。ロンドンの南西の村バーンズで、「白い牡牛」の姿をした何かが人を、とくに女性を襲ったという噂が立った。噂はすぐに周りの村へ広がり、2か月ほどのあいだに、幽霊・熊・悪魔の姿で二十数か所の村に現れたと言われるようになった[1]。
ロンドンの新聞がこの噂を載せ始めたのは、1837年12月の終わりだ。どの新聞も初めは半信半疑だった。記者や警察が出どころを追っても、自分の目で見たという人は見つからない。「幽霊」の正体が白い馬に乗った警部だったり、顔の白い若い雌牛だったりしたこともあった[1]。
騒ぎが公のものになったのは、1838年1月9日だ。ロンドン市長ジョン・コーワンが、公邸マンション・ハウスでの公開の場で、「ペッカム在住の者」と名乗る匿名の投書を読み上げた。当時の紙面を書き写した歴史家マイク・ダッシュの論文によれば、投書にはこうあった[1]。
have laid a wager with a mischievous and foolhardy companion (name as yet unknown), that he durst not take upon himself the task of visiting many of the villages near London in three disguises
(身分の高い何人かが)いたずら好きで向こう見ずな仲間(名はまだ分からない)と賭けをした。ロンドン近くの村々を、三つの変装で訪ね回る度胸はあるまい、と。
三つの変装とは「幽霊、熊、悪魔」だった。投書は、この男のせいで7人の女性が正気を失ったと訴えていた。市長自身は話を大げさだと見ていた[1]。それでも新聞が報じると、似た訴えの手紙が次々に市長のもとへ届いた。ケンジントン、ハマースミス、イーリングの召使いの娘たちが、鍛冶屋を鉄の爪で引き裂いた「幽霊か悪魔」の話をしている、という記事も出た[2]。
1月中ごろには、住民が委員会を作って捕まえるための資金を集め始めた。委員会には「高い家柄のならず者の仕業で、5,000ポンドの賭けがかかっている」という話まで伝わっていた[1]。名前も早くから付いた。1月には「スプリング・ジャック」、2月の終わりには「スプリングヒールド・ジャック(バネ足ジャック)」という呼び名が使われている。1月10日の新聞はすでに「バネの靴」を履いているとも書いた[2]。
02ジェーン・アルソップ事件:オールド・フォードの門で
バネ足ジャックの話でいちばん有名なのが、ロンドン東部オールド・フォードの事件だ。1838年の年鑑は「若い女性への暴行」という見出しで、こう書き出している。訴えに来た父親の娘を襲ったのは[4]、
by a fellow who goes by the name of the Suburban ghost, or spring-heeled Jack
「郊外の幽霊」、あるいはバネ足ジャックの名で通っている男
だった。ジェーン・アルソップの証言によれば、夜9時15分前ごろ、家の前の門のベルが激しく鳴った。出てみると、外に男が立っていた。男は自分は警官だと名乗り、こう言った[4]。
For God’s sake bring me a light, for we have caught spring-heeled Jack here in the lane
お願いだから明かりを持ってきてくれ。この小道でバネ足ジャックを捕まえたんだ。

ジェーンが家からろうそくを持ってきて渡すと、男はマントを脱ぎ捨て、ろうそくを胸もとにかざした。ひどく恐ろしい顔が浮かび、口から青と白の炎を吐き、目は赤い火の玉のようだったという。大きなかぶとをかぶり、体にぴったりした白い油布のような服を着ていた。男は一言も言わずにジェーンの首の後ろをつかみ、頭を腕の下に抱え込んだ[4]。
commenced tearing her gown with his claws, which she was certain were of some metallic substance
爪で彼女のドレスを裂き始めた。その爪は、何か金属でできていたと彼女は確信していた。
ジェーンは振りほどいて家へ逃げたが、玄関の段で再びつかまり、首や腕を引っかかれ、髪をむしられた。姉妹が引き離して助けた。男はその後も門をたたき続け、2階の窓から警官を呼ぶ声がすると逃げた。マントは置いていったが、別の誰かが拾って持ち去った[4]。
捜査はどうなったか
ダッシュによれば、事件を調べたのはランベス・ストリート警察署の刑事ジェームズ・リーだった。1827年の「赤い納屋殺人」の犯人を捕まえた、当時もっとも腕の立つ刑事の一人だ。容疑者として、近くに住む大工ミルバンクと煉瓦職人ペインが取り調べを受けた。ミルバンクは事件の時刻に白い帽子と白い上着で小道にいて、車大工の証人スミスは、事件のあとミルバンクが「スプリング・ジャックに何か文句があるか」とからんでくるのを聞いたと証言し、犯人は彼だと言い切った[1]。
ところが、そのスミスと、同じく現場近くの小道にいた靴職人リチャードソンは、炎など見ていないと言い切った。判事に「ろうそくより強い光が出たら、見えたはずか」と問われて、リチャードソンは「必ず見えた」と答え、スミスもこう述べている[2]。
I am sir; I saw no light but that of a candle
そう思います。ろうそくの明かりのほかに、光は見ていません。
一方で、劇場主のファレルは法廷で、酒精(アルコール)をしみ込ませた海綿に強い酸を垂らせば、話のような炎が出せると説明した。リー刑事も、病院で筒を使って似た炎を出すところを見たと報告している[2]。結局、主任判事はミルバンクを無実と考え、誰も裁判にはかけられなかった[1]。
03ルーシー・スケールズ事件と、増えていく「ジャック」
アルソップ事件から数日後、東の港町ライムハウスでも事件が起きた。年鑑によると、肉屋のスケールズ氏が18歳の妹を連れて警察署に来た。妹ルーシーは姉と兄の家から帰る途中、グリーン・ドラゴン小路の角に立つ人影の前を通りかかった。大きなマントの男は、彼女の顔に青い炎を吹きかけた。ルーシーは目が見えなくなって倒れ、何時間も発作が続いた[4]。
一緒にいた姉によれば、男は背が高くやせていて、紳士風の身なりだった。胸の前に警官が持つような小さなランプを下げていたという。そして、男はこう去った[4]。
The individual did not utter a word, nor did he attempt to lay hands on them, but walked away in an instant.
その人物は一言も口をきかず、二人に手をかけようともせず、すぐに歩き去った。
ここで大事なのは「歩き去った」という言葉だ。ダッシュは、直接の目撃証言の中に、人間離れした跳躍は一つも出てこないと指摘する。アルソップ事件の男も「野原を走って」逃げただけだった。跳躍がすごくなるのは、話が人から人へ伝わってからだ[2]。
スケールズ事件の記事は1紙にしか載らなかった[1]。その後よく語られる「ターナー・ストリートの召使いの少年」の件も、当時の記事は80語ほどの短いもので、マントの「W」の刺しゅうのような細部は書かれていない[2]。

1838年の春には、まねをする者が次々に出た。口の部分に青い光沢紙を貼ったマスクで「火を吐くジャック」を演じた若者が捕まり、ひげ付きの仮面とシーツで人を脅した男は4ポンドの罰金を科された。何人もの女性を襲った鍛冶屋は、重労働3か月の刑になった[1]。1847年にはデヴォンのティンマスで、牛の皮のような服を着て女性を襲った年配の大尉が有罪になっている[3]。「バネ足ジャック」は、一人の怪人の名前というより、誰でも名乗れる役柄になっていった。
041877年アルダーショット:兵舎の「幽霊」
1840年代から60年代の目撃談は、日付も場所もはっきりしないものが多い。1872年のペッカム、1873年のシェフィールドの騒ぎも、地元の新聞は「幽霊」と呼んでおり、バネ足ジャックの名は後から付いた[1]。
はっきりした記録が残るのが、1877年の陸軍アルダーショット兵舎だ。ダッシュによれば、地元の軍の新聞は3月17日、真夜中に見張りの兵の前に何者かが現れ、誰何(すいか)に答えず、見張り小屋の周りをおどけて動き回ったあと、驚くほどの速さで逃げたと伝えた。兵は銃を撃ったが当たらなかった。兵舎ではこの者を「バネ足ジャック」と呼んでいた[1]。

4月28日の The Times は、「幽霊」が見張りの顔を何度も平手で打ち、「驚くべき跳躍で」荒れ地を逃げたと書いた。夜10時ごろ、じゅうたん地の旅行かばんを持った背の高い紳士が、将校だと名乗って兵舎に入っていった、という手がかりも載せている[3]。8月末の再出現では、見張りに実弾を込めさせる命令が解かれたころを見計らったように現れた。ダッシュは、犯人が兵舎の事情を知る者だった可能性を指摘する[2]。
話は後からさらに大きくなった。のちの本には、ジャックが幅15歩以上ある運河を少なくとも4回跳び越えた、と書くものがある。ダッシュが調べると、運河を跳んだという話が初めて出てくるのは30年後の1907年だった。兵舎を通る約5キロの区間には当時少なくとも4本の橋があった。ジャックが運河の両側に現れたのは確かでも、跳ぶところを見た人はいない[2]。
当時の将校たちには、心当たりがあった。当時の騎兵将校アーネスト・ハミルトン卿は、1922年の回想録にこう書いている[8]。
They themselves were firmly convinced that Spring-heeled Jack was the devil. We, in the officers' mess, were just as firmly convinced that it was Lieut. Alfrey of the 60th Rifles. Probably both were wrong.
兵たちは、バネ足ジャックは悪魔だと固く信じていた。将校食堂の我々は、第60ライフル連隊のアルフリー中尉だと同じくらい固く信じていた。おそらく、どちらも間違っていたのだろう。
ハミルトンによれば、アルフリーは大柄で力が強く、驚くほど身軽だった。狩りでは走るポニーから跳び降り、ポニーと並んで柵を跳び越えたという。道具はゴム底の靴と、片面が白、片面が黒のシーツだったと噂された[8]。別の元軍人ウェルビーも1907年に、運河のそばの弾薬庫の見張りが何度もいたずらをされ、「ライフル連隊の元気な将校」の仕業とされたが、有罪にはならず、本人も認めなかったと書いている[6]。
051904年リバプール:「最後の出現」の正体
バネ足ジャックの「最後の出現」とされるのが、1904年9月のリバプールだ。後の本では、何百人もの見物人の前で、ジャックが通りを跳ね回り、家並みを跳び越えて消えた、と語られる。この形の話がよくまとまって載ったのは、1967年のリバプールの新聞だった[1]。
ところが当時の記事は、ずっと控えめだ。ダッシュが引くロンドンの日曜紙 News of the World(1904年9月25日)は、エヴァトン地区が「バネ足ジャック」と呼ばれる幽霊騒ぎにおびえ、毎晩群衆が集まるが、見た人はわずかだと伝えた。別の新聞 The Star は、ある家の煙突かられんがや瓶が落ちてくる騒ぎ(いわゆるポルターガイスト)を報じ、昔のバネ足ジャックの話が思い出されている、と書いた[1]。ダッシュとリバプールの研究家ジョン・リマーは、地元リバプールの新聞にこの騒ぎの記事を見つけられなかった[1]。
実はリバプールでは、1888年にも騒ぎがあった。ある男性の思い出話によれば、少年たちが「バネ足ジャックがショー通りにいる」と聞いて駆けつけたが、何も見えなかった。群衆は、近くの教会の尖塔にうずくまっていると言っていたという。ダッシュは、名前が人を興奮させる力をまだ持っていたことを示すだけだと見ている[1]。
60年以上たった1967年、子どものころこの地区に住んでいた年配の女性が、新聞にこう語った。リバプールの「ジャック」は、心の具合が少し悪かった地元の男だった、と[1]。
He had a form of religious mania and he would climb on to rooftops of houses crying out
彼は一種の宗教的な妄想を抱えていて、家の屋根に登っては叫んでいた。
叫んでいたのは「妻は悪魔だ!」という言葉だった。警察が近づくと、屋根から屋根へ跳び移って逃げた。それが「バネ足ジャック」の噂の元になったという[1]。67年の伝説は、こうしてかなり地味な形で幕を下ろしている。ダッシュは、最後のパニックとして1930年代のグラスゴーの騒ぎも挙げている[3]。
06ペニー・ドレッドフルが作った「バネ足ジャック」
新聞の記事が途切れても、名前は消えなかった。生き延びさせたのは、子どもを怖がらせる「お化け」としての口伝えと、ペニー・ドレッドフル(1冊1ペニーの安い連載小説)だった[3]。1840年代に子どもだったトマス・ラトクリフは1907年、「跳ぶジャック」に会うのが本当に怖かったと振り返り、そのうえでロンドンの版元から出た週刊の連載のことを書いている[5]。
His jumps were intended to frighten evildoers, and to frustrate their intentions. He was looked upon as a sort of Robin Hood.
彼の跳躍は悪人を怖がらせ、たくらみをくじくためのものだった。一種のロビン・フッドと見なされていた。

襲う側の怪人は、物語の中で正義の味方に変わっていった。Project Gutenberg Australia が公開している連載『Spring-Heeled Jack: The Terror of London』では、ジャックの正体は財産をだまし取られた貴族の跡取りで、最後は名誉を取り戻して結婚する。物語はこう結ばれる[11]。
the story which we have told of brave Jack Dacre is the only authentic history of Spring-Heeled Jack
我々が語った勇敢なジャック・デイカーの物語こそが、バネ足ジャックの唯一の本当の歴史である。
面白いのは、この小説が冒頭で1838年の年鑑の記事を(年を1837年と誤ったまま)長々と引き写し、「本当の話」らしさを出していることだ。作り話が、実際の記録を材料にして「真実の歴史」を名乗っていた[11]。

1904年のアルダイン社の連載では、ジャックは角のような頭飾りとコウモリの翼のマントをまとい、悪人を懲らしめる。今わたしたちが思い浮かべる、黒いマントで高く跳ぶ姿は、この時代の表紙絵から来ている部分が大きい。

20世紀に書き足された「事実」
膨らませたのは小説だけではない。1977年に出たピーター・ヘイニングの本は、1837年10月の召使いポリー・アダムズの襲撃、マントの「W」の刺しゅう、1845年の娼婦マリア・デイヴィス殺害を、事実として書いた。ダッシュは数週間かけて当時の新聞を調べたが、どれも見つからなかった。ヘイニングに出典を問い合わせると、調査資料は映画の脚本家に貸したまま行方が分からない、という返事だった[2]。

07正体説を確かめる:貴族のいたずら、集団パニック、宇宙人
ウォーターフォード侯爵説
いちばん古い正体説は、1838年の投書にもあった「身分の高い者の賭け」だ。そこから、名前が挙がったのが第3代ウォーターフォード侯爵ヘンリー・ベレスフォード(1811〜1859年)だった。ボクシングや乗馬を好み、とんでもない悪ふざけで新聞に話題を提供し続けた人物だ[2][10]。

1899年のロンドン案内書は、侯爵の悪ふざけを並べたうえで、こう書いた[10]。
It is more than suspected that the marquis, assisted by some of his companions, is the notorious
侯爵が仲間の手を借りて、あの悪名高い〔バネ足ジャック〕なのではないかと、強く疑われている。
ただし同じ本は注で「証拠は何も見つかっていない」とも書いている[10]。ブルーワーの辞書も、侯爵が旅人に跳びかかって驚かせるのを楽しみにしていたと書くが、根拠は示していない[9]。1907年には、祖母から「バネ足ジャックはウォーターフォード侯爵だと信じられていた」と聞かされた、という投書もある[7]。どれも噂を伝えるもので、直接の証拠ではない。
反対の材料もある。ダッシュによれば、1837年12月の新聞は、侯爵が9月1日の時点でノルウェーを旅行中だったと伝えている。噂が始まった月だ。ただし月末までにロンドンへ戻ることはできた[3]。また先に見た連載小説は、侯爵が1837年4月に別の町で乱暴を働いて罰金を科された記録を挙げ、「二つの場所に同時にいられない」として侯爵説を否定している[11]。もっとも、この小説の言う日付自体が確かめられない。そして侯爵は1859年に亡くなっている。1877年や1904年の事件の犯人にはなりえない[3]。
集団パニック説
ダッシュの結論は、1837年の噂そのものが「都市の恐怖」の一つだった、というものだ。噂を追っても目撃者が見つからず、熊・牛・悪魔・幽霊と姿がばらばらだったのは、そのためだ。そこへ1838年2月に実際の暴行事件が起き、名前が定着した。そして模倣者と小説と子ども部屋のお化け話が、名前を1904年まで生かし続けた[3]。
名前の元になった「バネの靴」も、ダッシュは疑っている。鉄のバネで塀や家を跳び越えるのは無理がある。しかも出没した場所の多くは田舎道や荒れ地、公園で、バネの靴が役に立つ平らで固い地面ではなかった。なぜ「バネ足」と呼ばれるようになったのかは、今も分かっていない[2]。
一方でダッシュは、すべてを集団の思い込みで片づけてもいない。アルソップ事件とスケールズ事件には実在の加害者がいた。火を吹く芸のような手口がそろっていることから、二つは同じ人物か仲間の仕業だった可能性が高いとみている[3]。
宇宙人説
宇宙人説は、当時の記録からは出てこない。ダッシュによれば、「重力の大きい星から来たのでは」という意見の最初の例は1954年の雑誌の読者投稿だった。広く知られるきっかけは、1961年に UFO 専門誌 Flying Saucer Review に載った J・ヴァイナーの記事だ。この記事は、ジャックの胸にランプが光り、金属のかぶとをかぶり、青い炎は光線銃だった、と描いた[2]。
Yet there is absolutely nothing in the contemporary sources to support the idea that Jack wore a lamp strapped to his chest, much less that the fire he spat came from anywhere but his mouth.
だが当時の資料には、ジャックが胸にランプを付けていたことを支える記述はまったくない。まして、吐いた火が口以外から出ていたという記述はない。
実際、スケールズの姉が見たのは「警官が持つような小さなランプ」で、かぶり物も「かぶと」ではなく「ボンネット(つば付きの帽子)」と言っていた[2]。宇宙人のジャックは、1960年代に書かれた要約が、元の記録を確かめないまま書き写されて広まったものだった。
| 説 | 根拠 | 評価 |
|---|---|---|
| 1838年の襲撃は人間の仕業 | 炎は酒精で出せると当時の法廷で説明された。爪は手袋で足り、直接の証言に大跳躍は出てこない[2] | 有力 |
| うわさが広がった集団パニック | 1837年末の噂は出どころを追っても目撃者が見つからず、姿もばらばら。後の各地の「幽霊」に名前が後付けされた[1] | 有力 |
| ウォーターフォード侯爵の賭け | 1890年代以降の本や回想が名指しするが、直接の証拠はない。噂の始まりの時期にノルウェーにいたとする報道もある[3] | 確かめられず |
| アルダーショットは若い将校のいたずら | 複数の元将校が同じ人物の名を挙げるが、本人は認めず、処分の記録もない[8] | 確かめられず |
| 一人の怪人が67年間現れた | 爪や火は1838年にしか出てこない。後の事件は模倣者や別の騒ぎで、名前だけが引き継がれた[2] | 否定的 |
| 宇宙人だった | 1950〜60年代に生まれた説。ランプやかぶとなどの根拠は当時の記録にない[2] | 否定的 |
バネ足ジャックは、一人の怪物ではなかった。1837年の噂、1838年の実際の暴行、それをまねた者たち、そして安い小説と20世紀の本が、67年かけて一つの像に重ねたものだ。跳躍は伝わるたびに高くなり、最後には宇宙から来たことにまでなった。元の記録に戻ると、ろうそくを借りなければ火も吹けなかった男の姿が見えてくる。
出典・参考資料
- Mike Dash「Spring-heeled Jack: To Victorian Bugaboo From Suburban Ghost」Part 1(初出 Fortean Studies 3, 1996 の改訂ウェブ版。mikedash.com の Internet Archive 保存版). https://web.archive.org/web/20120320151712/http://www.mikedash.com/extras/forteana/shj-about/shj-paper-1(閲覧 2026-10-09)↩
- Mike Dash「Spring-heeled Jack」Part 3: The fakelore of Spring-heeled Jack(同上). https://web.archive.org/web/20120320151906/http://www.mikedash.com/extras/forteana/shj-about/shj-paper-3(閲覧 2026-10-09)↩
- Mike Dash「Spring-heeled Jack」Part 4(正体の検討と結論。同上). https://web.archive.org/web/20120115061411/http://www.mikedash.com/extras/forteana/shj-about/shj-paper-4(閲覧 2026-10-09)↩
- 『The Annual Register, or a View of the History and Politics of the Year 1838』vol.80, Chronicle, pp.23–24, 26–27, London, 1839(Internet Archive の全文). https://archive.org/details/s25id11852530(閲覧 2026-10-09)↩
- Thos. Ratcliffe「Spring-heeled Jack」Notes and Queries, 10th Series, vol.7, 1907年5月18日(Internet Archive). https://archive.org/details/sim_notes-and-queries_1907-05-18_7_177(閲覧 2026-10-09)↩
- Alfred C. E. Welby「Spring-heeled Jack」Notes and Queries, 10th Series, vol.7, p.496, 1907年6月22日(Internet Archive). https://archive.org/details/sim_notes-and-queries_1907-06-22_7_182(閲覧 2026-10-09)↩
- Harry Hems「Marquess of Waterford as Spring-heel Jack」Notes and Queries, 10th Series, vol.8, p.455, 1907年12月7日(Internet Archive). https://archive.org/details/sim_notes-and-queries_1907-12-07_8_206(閲覧 2026-10-09)↩
- Lord Ernest Hamilton『Forty Years On』Hodder and Stoughton, 1922年, pp.161–163(Internet Archive). https://archive.org/details/fortyyearson00hami(閲覧 2026-10-09)↩
- E. Cobham Brewer『Character Sketches of Romance, Fiction and the Drama』vol.7, New York: Selmar Hess, 1896年,「Spring-Heel Jack」の項(Internet Archive). https://archive.org/details/charactersketche07brewuoft(閲覧 2026-10-09)↩
- H. Barton Baker『Stories of the Streets of London』1899年, pp.420–421(Internet Archive). https://archive.org/details/storiesofstreets00bakeiala(閲覧 2026-10-09)↩
- 作者不詳『Spring-Heeled Jack: The Terror of London』(The Boy's Standard 掲載の連載。Project Gutenberg Australia 電子版, 2021年更新). https://gutenberg.net.au/ebooks06/0602571h.html(閲覧 2026-10-09)↩
この記事は、公開されている資料をもとに編集部が書いています。引用した文章と画像は、出典と引用元へのリンクを添えています。英語の資料の訳は当サイトによるものです。誤りに気づいた方は、目撃情報フォームからお知らせください。